Ajioka Shintaro

韓国ソウルで「チョガッポ」に魅かれた

Posted in タイポグラフィ, デザイン, 展覧会, 建築, 民俗, 田舎暮らし, 美術 by ajioka on the 5 月 18th, 2012

五月の連休が終わった後に韓国ソウルに出掛けた。
旅の目的は二つ。
一は、FONT1000韓国展の飾付けと初日の講演。
二は、芸術の殿堂 デザイン美術館で開催された「ペーパーロード、紙的想像の道」展。


芸術の殿堂 デザイン美術館と会場入口

この展示は、韓・中・日から選抜された約百五十人のグラフィックデザイナーによる
ポスター展とブックデザイン展に、紙による提案展、歴史的な名作ポスター展を加えた四部門で構成。
総点数が二千点にも及ぼうという、壮大な展覧会である。
私はポスター展にエントリーしていた。
(実は、ブックデザイン展にも未応募の私の作品が展示されていた。)


ポスター展とブックデザイン展会場

また、FONT1000韓国展はこの展覧会のイベント展示でもある。
会場が国立のデザイン美術館であることは知らされていたが、
会場を見て、改めて彼我の違いを実感。
(日本では、美術館でデザイン展が開催されることすら稀である。)
展覧会のカタログの厚さが十三センチにもなる豪華さや、
会場が観客で賑わい、その多くが若者であることに、
韓国の勢いをまざまざと見る。



二日目は夕方六時半より講演とオープニングパーティ。
その前に、「チョガッポ」が見たくて、韓国刺繍博物館に。
「チョガッポ」とは、小さな布切れをパッチワークした「ポジャギ」(日本の風呂敷のようなもの)のこと。
「ポジャギ」は使う布や包むものによって様々だが、
私は特に麻や絹の透ける布の端切れを組み合わせた「チョガッポ」に魅かれた。



韓国の女性たちがほんとうに小さな布の切れ端までをも愛しみ、
一針一針、気の遠くなるような時間の果てに繋ぎ合わした一枚の布が「チョガッポ」である。
布が重なり、僅かに濃くなった繋ぎ目が作り出した無心の構成美が魅力だ。

時にそれは、豊饒なアールヌーボー様式をも彷彿とさせ、
時にパウル・クレーの抽象画のようにも見える。
クレーの画面から感じると同じような美しい響きが「チョガッポ」からも聞こえてくる。

その自在な繋ぎ目は無心に布を繋ぐことから、生み出されたものだ。
それは計算からは決して生み出されない。
布への限りない慈しみと惜しみない愛情からしか生まれない。

講演では、日本のタイプフェイスの現状とFONT1000の活動を語り、
フォントの使用例として私の書体「方眼」を紹介。
その日の「チョガッポ」の感動をそのまま、
「方眼」を使用した風呂敷のデザインとの共通性に触れる。
デザインの共通性はもちろんだが、その構成は計算し尽くすコンポジションではない。
伊呂波四十八字を只並べることから自然と生まれた結果である。
そして、ものを包むことから生まれる偶然性をも取り込んだデザインである。



「方眼」はその名からも分かるとおり、方眼上に全ての点画が配置されている、
そして斜線は全て四十五度である。その結果、文字が並んだときにラインが揃い、
造形的な組版が生まれる。隣にどのような文字がこようとも、
調和するようにデザインされるのがタイプフェイスだ。
「方眼」は特にその点を強調した書体である。
何千字もを、黙々と延々と作り続けることも、「チョガッポ」と「タイプフェイス」はよく似ている。

講演の後、動向した友人のデザイナーから、
「チョガッポ」と、私の鳳来「湯谷の家」の床は同じだ、との嬉しい言葉をいただいた。
「湯谷の家」の床は、木材を手当たり次第にパッチワークした。
大小だけでなく、樹種も色も全く構わず貼り合わせている。
結果は既製の床材では到底得られない、豊な表情を持つ床が生まれたと自負している。

その後、ギャラリーサンセリテに制作した、
土染めの布の茶室とも同じだとの指摘を、別の方よりいただいた。
好みというのはつくづく同じなのだとあらためて実感。



「ポスター展とブックデザイン展」の作品は、
いずれも技術も構成もまた印刷技術も素晴らしく、
全てが計算されたデザインが並び、いずれもが現在の韓・中・日のデザインの水準を示していた。
しかし「歴史的な名作ポスター展」と比べると魅力に乏しい。



それは何故か。もちろん、歴史に耐え、選び抜かれた作品と比べるのは不公平ではあるが、
技術や計算や効率や完成度は感動やインパクトには直接結びつかない。
そのことを、計らずも今回の展示は我々に教えているのだろう。
「無心や必然性」「限りない慈しみと惜しみない愛情」
これらは「技術や計算や効率や完成度」とはほど遠いものなのだろう。

初々しい私

Posted in タイポグラフィ, 展覧会, 美術 by ajioka on the 3 月 30th, 2012

今日、別件で豊橋市美術博物館に出掛けた。
すると、新収蔵となった私の作品が、2階に並んでいた。
この作品についてと、新収蔵品展で並ぶことは
私の最初の作品で書いたが、
展示が始まるので、もう一度。


隣は土のシリーズの第一作。

新収蔵の作品は28歳の制作で、
別々に書いた、約60cm正方のパネル、12枚を構成したもの。
長い間、バラバラで保存していたが、
今回の収蔵に合わせて額装していただいた。



次は学芸員による解説。

「土の造形で知られる味岡伸太郎は、当初、前衛書からその活動を始めた。図形と数式で埋め尽くされた12枚のパネルによるこの作品は、書壇から離れてドローイングに移行する時期に手がけられている。数式や図形を正確に筆写するというよりは、コンテで走り書きのように書き連ね、時に訂正やアンダーラインを入れるなど、学生が黒板を写し取ったノートのような自由な筆勢が特徴となっている。ひたすら文字を写し取るという行為は、文字によって「無我」であろうとする作者の一貫した姿勢によるもので、味岡の造形活動の原点ということができる。」

現在、ギャラリーサンセリテには、
30歳の青いドローイング、2点がたまたま並んでいる。
このことも、
すでに1980年の青いDrawingで書いてある。

今なら、初々しい私にまとめて会えます。

豊橋市美術博物館
新収蔵品展
4月1日〜6月17日

韓国ソウル「ペーパーロード、紙的想像の道」

Posted in タイポグラフィ, デザイン, 展覧会 by ajioka on the 2 月 27th, 2012

五月、韓国ソウルで「ペーパーロード、紙的想像の道」を
テーマとするデザイン展が開催される。
ポスター、ブックデザイン、紙プロジェクト、タイポグラフィの四部門で構成され、
韓中日から選抜された、
約百名のデザイナーが出品するポスター部門に私は招待されている。

会場は国立の「芸術の殿堂 デザイン美術館」。
約二十年程前に開館、その開館記念展にも招待され、
出品作はその美術館に収蔵されている。

経済面での最近の韓国の躍進は目覚ましい。
官民一体の活動の成果である。
デザインも同様で、日本では公立のデザイン美術館はない。
今、おそらく韓国よりも日本のデザインの方が上であろう。
しかし、それが何時まで続くか。
やがて、追いつかれ、追い越されそうな、勢いが韓国にはある。

Asia Creative Academy 2011秋 其の1
で韓国ACAでの講義について書いたが、
ACAは産官学の協力で、社会や大学を卒業した後、
さらに上を目指そうという学生が学んでいる。
学生のレベルは驚くほど高い。
そこと提携する同様な学校が東京青山にあるが、
その運営はデザイナー個人によって行われ、大きく違う。

これまで日本を支えてきた仕組みが時代に対応できなくなり、
韓国の躍進、日本経済や地方の衰退は全て同根である。

ともあれ、今年中に完成を目指す明朝体のためのポスターを出品した。
それぞれ突・破・畳・折・切の一文字を画面の中央に大きくレイアウトし、
それぞれに直接、突いたり、破ったりの行為を加えた。





大量生産を前提とすればいささかタブーな作品だが、
成熟し、チャレンジ心を失わんとする日本には必要な試みなのだ。

FONT1000大阪展

Posted in その他, タイポグラフィ by ajioka on the 2 月 7th, 2012

FONT1000大阪展が昨日始まった。



昨日は祖父江愼氏を招いて、七種泰史氏と私、
それと司会を大阪の高田雄吉氏にお願いして
スペシャルトークショーを開催。


平和紙業 大阪. PAPERVOICE提供

大阪はもちろん、福岡、姫路、徳島、福井と多くの方が会場に訪れ
遅くまで熱く盛り上がった。
想像以上に関西はタイポグラフィに関心があるようだ。
それに比べて、(我が地元である筈…? )の名古屋の関心の薄さは何だ。
名古屋のグラフィックデザイナーは、たかが文字と思っているのだろう。
欧米でグラフィックデザインとは実はタイポグラフィのことで、
むしろタイポグラフィが一般的な用語である。
たかが文字ではない、
コミニュケーションにとっては文字が全てと言って過言ではない。
イラストレーションや写真ではイメージは伝えることはできるが
具体的なメッセージは文字で表現するしかない。
イラストレーションや写真が無く、文字だけのポスターは存在するが
その反対に文字の無いポスターは存在しない。
故田中一光氏のポスターの殆どが素晴らしいタイポグラフィと
美しい色彩で表現されていた。
それが今も我々にデザインの本質を教えている。

名古屋のことなどさておき
東京・名古屋を巡回しFONT1000大阪展は16日まで。
国内での展示はこれで終了するが、
5月10日からは韓国ソウルでの開催が決まっている。
韓国文化体育観光部アジア文化中心都市推進団主催の
「ペーパーロード、紙的想像の道」には
韓・中・日から多くのデザイナーが参加する。
そのイベントにFONT1000展は組み込まれている。
韓国ではデザインも国をあげ応援し、熱い。

FONT1000展とは別に
本展示の韓・中・日のグラフィックデザイナー約100名による
ポスター展に私も招待されている。
それらの詳細はまた後日。

個展 春と修羅より

Posted in その他, タイポグラフィ, 出版, 展覧会, , 民俗, 田舎暮らし, 美術 by ajioka on the 1 月 18th, 2012

「現代美術 in とよはし」の開会式が豊橋市美術博物館で行われ「線庭」が公開され、
同時に豊橋市内のギャラリーサンセリテでの個展「春と修羅より」も始まった。



入口には芭蕉の句。



今回のタイトルは「春と修羅」
宮沢賢治の詩集を中心に書いてみた。

今回の個展も文字を書いている。
何故文字を書くのか。

絵画とはなにか。
それは画家の美意識によるストロークで紙面を満たすことだ。
それが具体的なものを描くのであれ、
何ら具象性を持たないものであれ
結果としてストロークで画面が満たされることには違いない。
その意味で画面に何が描かれているかは絵画の制作に関係ない。
観る者は画面のストロークと
それによってもたらされるマチエールに惹かれる。
それは、歌手が歌う歌詞の内容以上に
その歌手の天性の声質に我々が惹かれることに似る。
もちろん、描かれる内容や歌詞の意味が
無意味と言っているのではない。
マチエールや声質が人間の感動に対して
それがより直接的で、
強いインパクトがあると考えている。

通常の絵画ではストロークが前もって決められることはない。
描くにつれ、その結果をもとに、
それが瞬間的な判断であれ、作者の意志で決められる。
対して「文字」を書く場合
文章には前もって、文字の並びが決定され、
その文字には書き順が決まっている。
つまり、作家はその手順の通り手を動かしていく。
その結果、画面がストロークで満たされる。

それでは現代の書家の全てが皆そのような評価の対象かと言えばそれは違う。
なぜならば、そこには「上手な字」「読みやすい字」あるいは「古典に忠実な字」
前もって、「画面構成を考え」てみたり、「書く文字の形を考え」てみたりと
只「文字」や「文章」を書くには至っていない。
只「文字」を書くとは、紙面に関係なく、
例えば中央に文字を書くことでもない、
それもまた、中央に文字を書くという構成である。

只「文字」を書くことで、線が生まれ、空間が生まれる。
それ以外の何物かの介在を許した瞬間、画面は破綻し品格を落とす。
それが「文字」を書くことの意義であり、
「文字」を書くことを選択した理由。

そこには作為も虚飾も存在は許さず。
己を守ってくれる武器を持たず、
己の存在をかけて文字を書くことに対峙する
己がいるだけ。

難しいことを書いてしまったが
結果はそんな難しいものではない。

「現代美術 in とよはし」の「線庭」と共にご覧ください。

個展は、2月12日まで
オープニングパーティは
1月21日(土)午後6時30分より
お待ちしております。

山梨へ

Posted in タイポグラフィ, デザイン, by ajioka on the 11 月 24th, 2011

JDCA(社)日本デザイン書道作家協会主催
地域ブランド元気プロジェクト
甲州ワインラベルデザイン展の
記念シンポジウムの基調講演者として甲州市勝沼にでかけた。
あいにくのというか、やはりというべきか。
近づくにつれ雨足は強くなるばかり。
幾つかのトンネルを越えて到着した勝沼ぶどう郷駅ホームの
左は見事な桜並木の紅葉、右はやはり紅葉の葡萄園が霧の奥まで続いている。
晴れていたらさぞ美しいだろうと想像しながら、
迎えの車で会場へ。
霧はますます深まり、10m先が見えないほど。

基調講演の演題は「書に宿る美意識とその展開」。
構成は
書そのプロローグ
書の空間 1
書の空間 2
漢字とかな タイプフェイス
錯視からの展開
ロゴタイプへの展開
楷書から
エピローグ 再び書へ

この40年間の書への関わりについてまとめてみた。
こんな講演の依頼はありがたい。
「書」を通して自らの仕事を振り返るよい機会となった。

講演の後はパネルディスカッション。
「真にローカルに徹すれば必ずそれはインターナショナルになる、
但し、それには無知からくる「おらが村が一番」の錯覚を排除できる
グローバルな視点が必要である。」といつもながらの発言。

せっかくの景色は明日は晴れそうなので、堪能して帰ろうと思っていたら。
二次会の会場は40分も離れた甲府市内。
ついにかなわず、ホテルで見た県立美術館のチラシに誘われ
浅川伯教・巧 兄弟の心と眼ー朝鮮時代の美を見た。
浅川伯教の朝鮮土産が発端になり、柳宗悦が民芸運動に目覚めたことはよく知られている。
しかし、その浅川伯教・巧 兄弟のことは殆ど知らなかったので
良い機会だった。収集品も素晴らしい。

なかでも、柳宗悦によって知られるようになった「木喰仏」。
これまで、木喰仏は素人臭いうえに自意識過剰で好きではなかった。
なにゆえ柳宗悦はあれほどまでに木喰仏を評価したのか。
展示されていた木喰仏は柳が始めて見た木喰仏三体の一つ。
これを見て評価の理由が始めて分かったような気がした。
沢山の木喰仏を見てきたが、それには私の嫌いな木喰臭が少なかった。

もう一つ、魯山人も今まで良いと思ったことがなかったが
並んでいた三碗は評価できるものだった。

JDCAの会員は終日山梨観光のこと。
昨夜、すこぶるの雨男の私が帰るころには青空ですよと言って別れたが
案の定、帰りの列車に乗る頃には暑いほどの青空が広がっていた。

FONT1000名古屋展が始まった。

Posted in タイポグラフィ, デザイン, 展覧会 by ajioka on the 11 月 18th, 2011

平和紙業のショールームにパネルを立てての展示。
なかなか難しかったが、
東京展とはまた違った感じに収まって初日を迎えることができた。



展示が楽だし、梱包輸送も楽なうえ、
会場が華やかになる。
掛け軸とは本当に素晴らしい。

初日の夕方からは私と祖父江愼・七種泰史氏とのトークショーの予定だつたが、
定刻をすぎても祖父江氏があらわれない。
事務所に問い合わせると開始時刻の4時頃に会社を出たとのこと。
間に合わないからと、来ないよりましだが… 。
覚えていただけで、誠意はあったのだと理解しよう… 。

しかたなく、七種泰史氏と二人でのトークに
その影響か
東京・名古屋・大阪へと除々に過激なトークする予定ゆえか
一人で少し過激に走ってしまったようだ… 。

終わって、オープニングパーティー。
そこに、若干遅れて祖父江氏到着。



ペナルティで少し話してもらう。
いつものことだが、彼の文字への博識というか、オタクといえばいいのか。
驚かされるというか、けむにまかれる。
自分のペースに巻き込む能力もたいしたものだと再認識。

FONT1000展・東京が始まった。

Posted in タイポグラフィ, デザイン, 展覧会 by ajioka on the 10 月 17th, 2011

14日にFONT1000展・東京が始まった。
テーマは「たくましき日本の庶民と書体」



FONT1000がこの10年で発表した書体は
一言で言えば「庶民の書体」。
サミゾチカラコレクション看板と広告の資料館の協力で
登場するヒーロー達は「庶民の味方」。
FONT1000の書体で組まれた慣用句と
ヒーロー達とのコラボレーション。
言葉と画像の掛け合いの妙と
それを支える書体の表情を堪能していただきたい。





東京展は11月8日まで、
その後名古屋・大阪、そして韓国ソウルへと巡回する。

初日、私と祖父江愼・七種泰史氏とのトークも盛況だった。
短い時間で話はつきなく少し心残りだが、
続きは名古屋・大阪で繰り広げることにして、
除々に過激なトークになることを楽しみにしよう。

名古屋会場のトークショーの受付も始まり、まもなく定員。
申し込みは早めに。
http://www.font1000.com/

Asia Creative Academy 2011秋 其の2

Posted in タイポグラフィ, デザイン, 出版, 美術 by ajioka on the 9 月 29th, 2011

講演の最後に見せたのは、
一昨年の作品、コラージュによる絵巻物。
明治時代の物理の教科書と筆のドローイングに木炭による書
教科書の紙、白や茶色の和紙、色のトレーシングペーパーなど、
様々な用紙を繋いだもの。



そこで明日からのワークショップの課題発表。

各自A4のコピー紙程度の用紙に自由にドローイングする。
全員が制作したドローイングから10枚以上を選択する。
そのため、自らが必要とする枚数を制作する。
ドローイングの選択は順に一枚づつ、
提出した枚数になるまで机に広げたドローイングから選ぶ。

選択したそれぞれのドローイングを一つの作品と考えて
それぞれのドローイングを生かした作品集として仕上げる。
一枚のポスター、あるいは本、巻物、立体など形状に制約はない。
ドローイングに書き込みなどはしない。
必要に応じて表紙を作り、文字も入れても良い。


それぞれが制作したドローイング。
なかなか面白いものが集まった。
しかし、順に選んでいくので、
好きなものが手にはいるのではない。
そして、結局はみな同じようなものを手にすることになる。
選んだ結果を眺めてみな困惑した表情になっている。
翌日のプレゼンテーションが楽しみ。


最初のプレゼンテーション。
折りたたみ形式でドローイングの間に色をはさみ
ドローイングとドローイングの干渉を避けている。

全員で13名。
全員が大学を卒業後、
さらに学ぶためにACAに集った学生ばかりだ。
次々と面白いプレゼンテーションが続く。


全てのドローイングを繋ぎ、一枚のポスターにまとめ、
ドローイングの間に、黒い太線で我の文字を入れている。
文字はドローイングから浮き上がり、
立体のポスターになっている。


全てのドローイングを一列に繋げ、
二つ折りにし、トイレットペーパーホルダーに巻いている。
それぞれのドローイングも見ることができ、
伸ばしたドローイングも面白く見せている。
トイレットペーパーに見立てたアイディアも秀逸。


左がACA指導総監督の金さん。
デザイナーで通訳もしていただいた。
この方がいなければ私はお手上げ。


それぞれの作品を前に記念撮影。
みなそれぞれががとても優秀で
今回も楽しい講演とワークショップだった

Asia Creative Academy 2011秋 其の1

Posted in その他, タイポグラフィ, デザイン, 建築, by ajioka on the 9 月 28th, 2011

9月16-18日に
韓国ソウルのAsia Creative Academy (ACA)での
講演とワークショップのため出掛けた。
写真が今日届いたので遅れ遅れの報告。

今年の1月に続き2回目となる。
前回は寒さと不慣れさでいささか大変だったため
ブログのタイトルは「ソウル極寒不安日記」とつけたが、

長い年末新年雑事休暇も無事終了、復活です。
ソウル極寒不安日記 その2
ソウル極寒不安日記 その3

今回は2度目とあってさすがに前回のような不安もなく楽しめた。
しかし、出発前日に残暑の影響でソウルは停電。
そろそろ涼しくなるはずのソウルは、まだまだ暑かった。

講演は前回と同じく夕方7時から。

演題は「書とCalligraphyの間」。


最初の映像。木炭、ロゴタイプ、制作中の明朝体の伸太郎

文字に秘められた、民族の歴史と美意識。

美術としての書から、書の様式化の結晶としてのタイプフェイスまで、
「文字による形」それは書くことから生まれ、
民族の美意識にそれは育てられる。

書は一般的には英語ではCalligraphyと訳される。
しかし、美術としての書をCalligraphyと訳すことには
大いに疑問を感じている。

Calligraphyが美術用語として使われる場合には、
聖書などの古写本の文字のように特定のスタイルをもつ書法を指している。
そのため、Calligraphyはスタイルや装飾や技術の意味を持つ。
そのような性質を否定することから成り立つ美術としての書に
Calligraphyは相応しくない。

それとは別に、Calligraphyが持つスタイルや装飾や技術には
文字を生み、育てた漢字文化圏の民族の美意識が反映され、
それを基盤に、現代のタイプフェイスやロゴタイプや様々なタイポグラフィは生まれる。


ポスターに使う書体も常に古筆を参考にする。


書と建築の錯視の共通性。


線の交点に発生する錯視修正の実例とパッケージデザイン。

書とカリグラフィの間にはこのような大きな隔たりがあるが、
私はその間を行き来し、様々な作品を作ってきた。
私は文字を素材に制作するとき必ず古筆を参考にする。
どれほど思い切ったデザインをしようとも、それを踏み外さない限り、
その結果は必ずや説得力を持つ。

その一端を紹介しながら、
書とは何か。カリグラフィとはなにか。
はたまた、書と書道の違いは、
あるいは、書とカリグラフィとの違いとは。
アートとしての書に求められる表現とはなにか。
デザインとしてのカリグラフィに求められている表現とは、
タイプフェイス・ロゴタイプにどのように生かされるのか。
などなど… 。
書とカリグラフィの間に共通する民族の美意識について語ろうとしたのだが、
どこまで語れたか、一抹の不安は常につきまとう。

翌日からのワークショップはまた、次回に。

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