韓国ソウルで「チョガッポ」に魅かれた
五月の連休が終わった後に韓国ソウルに出掛けた。
旅の目的は二つ。
一は、FONT1000韓国展の飾付けと初日の講演。
二は、芸術の殿堂 デザイン美術館で開催された「ペーパーロード、紙的想像の道」展。


芸術の殿堂 デザイン美術館と会場入口
この展示は、韓・中・日から選抜された約百五十人のグラフィックデザイナーによる
ポスター展とブックデザイン展に、紙による提案展、歴史的な名作ポスター展を加えた四部門で構成。
総点数が二千点にも及ぼうという、壮大な展覧会である。
私はポスター展にエントリーしていた。
(実は、ブックデザイン展にも未応募の私の作品が展示されていた。)


ポスター展とブックデザイン展会場
また、FONT1000韓国展はこの展覧会のイベント展示でもある。
会場が国立のデザイン美術館であることは知らされていたが、
会場を見て、改めて彼我の違いを実感。
(日本では、美術館でデザイン展が開催されることすら稀である。)
展覧会のカタログの厚さが十三センチにもなる豪華さや、
会場が観客で賑わい、その多くが若者であることに、
韓国の勢いをまざまざと見る。


二日目は夕方六時半より講演とオープニングパーティ。
その前に、「チョガッポ」が見たくて、韓国刺繍博物館に。
「チョガッポ」とは、小さな布切れをパッチワークした「ポジャギ」(日本の風呂敷のようなもの)のこと。
「ポジャギ」は使う布や包むものによって様々だが、
私は特に麻や絹の透ける布の端切れを組み合わせた「チョガッポ」に魅かれた。

韓国の女性たちがほんとうに小さな布の切れ端までをも愛しみ、
一針一針、気の遠くなるような時間の果てに繋ぎ合わした一枚の布が「チョガッポ」である。
布が重なり、僅かに濃くなった繋ぎ目が作り出した無心の構成美が魅力だ。
時にそれは、豊饒なアールヌーボー様式をも彷彿とさせ、
時にパウル・クレーの抽象画のようにも見える。
クレーの画面から感じると同じような美しい響きが「チョガッポ」からも聞こえてくる。
その自在な繋ぎ目は無心に布を繋ぐことから、生み出されたものだ。
それは計算からは決して生み出されない。
布への限りない慈しみと惜しみない愛情からしか生まれない。
講演では、日本のタイプフェイスの現状とFONT1000の活動を語り、
フォントの使用例として私の書体「方眼」を紹介。
その日の「チョガッポ」の感動をそのまま、
「方眼」を使用した風呂敷のデザインとの共通性に触れる。
デザインの共通性はもちろんだが、その構成は計算し尽くすコンポジションではない。
伊呂波四十八字を只並べることから自然と生まれた結果である。
そして、ものを包むことから生まれる偶然性をも取り込んだデザインである。

「方眼」はその名からも分かるとおり、方眼上に全ての点画が配置されている、
そして斜線は全て四十五度である。その結果、文字が並んだときにラインが揃い、
造形的な組版が生まれる。隣にどのような文字がこようとも、
調和するようにデザインされるのがタイプフェイスだ。
「方眼」は特にその点を強調した書体である。
何千字もを、黙々と延々と作り続けることも、「チョガッポ」と「タイプフェイス」はよく似ている。
講演の後、動向した友人のデザイナーから、
「チョガッポ」と、私の鳳来「湯谷の家」の床は同じだ、との嬉しい言葉をいただいた。
「湯谷の家」の床は、木材を手当たり次第にパッチワークした。
大小だけでなく、樹種も色も全く構わず貼り合わせている。
結果は既製の床材では到底得られない、豊な表情を持つ床が生まれたと自負している。
その後、ギャラリーサンセリテに制作した、
土染めの布の茶室とも同じだとの指摘を、別の方よりいただいた。
好みというのはつくづく同じなのだとあらためて実感。


「ポスター展とブックデザイン展」の作品は、
いずれも技術も構成もまた印刷技術も素晴らしく、
全てが計算されたデザインが並び、いずれもが現在の韓・中・日のデザインの水準を示していた。
しかし「歴史的な名作ポスター展」と比べると魅力に乏しい。

それは何故か。もちろん、歴史に耐え、選び抜かれた作品と比べるのは不公平ではあるが、
技術や計算や効率や完成度は感動やインパクトには直接結びつかない。
そのことを、計らずも今回の展示は我々に教えているのだろう。
「無心や必然性」「限りない慈しみと惜しみない愛情」
これらは「技術や計算や効率や完成度」とはほど遠いものなのだろう。
Asia Creative Academy 2011秋 其の1
9月16-18日に
韓国ソウルのAsia Creative Academy (ACA)での
講演とワークショップのため出掛けた。
写真が今日届いたので遅れ遅れの報告。
今年の1月に続き2回目となる。
前回は寒さと不慣れさでいささか大変だったため
ブログのタイトルは「ソウル極寒不安日記」とつけたが、
長い年末新年雑事休暇も無事終了、復活です。
ソウル極寒不安日記 その2
ソウル極寒不安日記 その3
今回は2度目とあってさすがに前回のような不安もなく楽しめた。
しかし、出発前日に残暑の影響でソウルは停電。
そろそろ涼しくなるはずのソウルは、まだまだ暑かった。
講演は前回と同じく夕方7時から。
演題は「書とCalligraphyの間」。

最初の映像。木炭、ロゴタイプ、制作中の明朝体の伸太郎
文字に秘められた、民族の歴史と美意識。
美術としての書から、書の様式化の結晶としてのタイプフェイスまで、
「文字による形」それは書くことから生まれ、
民族の美意識にそれは育てられる。
書は一般的には英語ではCalligraphyと訳される。
しかし、美術としての書をCalligraphyと訳すことには
大いに疑問を感じている。
Calligraphyが美術用語として使われる場合には、
聖書などの古写本の文字のように特定のスタイルをもつ書法を指している。
そのため、Calligraphyはスタイルや装飾や技術の意味を持つ。
そのような性質を否定することから成り立つ美術としての書に
Calligraphyは相応しくない。
それとは別に、Calligraphyが持つスタイルや装飾や技術には
文字を生み、育てた漢字文化圏の民族の美意識が反映され、
それを基盤に、現代のタイプフェイスやロゴタイプや様々なタイポグラフィは生まれる。

ポスターに使う書体も常に古筆を参考にする。

書と建築の錯視の共通性。

線の交点に発生する錯視修正の実例とパッケージデザイン。
書とカリグラフィの間にはこのような大きな隔たりがあるが、
私はその間を行き来し、様々な作品を作ってきた。
私は文字を素材に制作するとき必ず古筆を参考にする。
どれほど思い切ったデザインをしようとも、それを踏み外さない限り、
その結果は必ずや説得力を持つ。
その一端を紹介しながら、
書とは何か。カリグラフィとはなにか。
はたまた、書と書道の違いは、
あるいは、書とカリグラフィとの違いとは。
アートとしての書に求められる表現とはなにか。
デザインとしてのカリグラフィに求められている表現とは、
タイプフェイス・ロゴタイプにどのように生かされるのか。
などなど… 。
書とカリグラフィの間に共通する民族の美意識について語ろうとしたのだが、
どこまで語れたか、一抹の不安は常につきまとう。
翌日からのワークショップはまた、次回に。
「魅力ある美術館を創る」には
少し前の話になる。
5月28日(土)に豊橋市美術博物館友の会記念講演会が
豊橋市役所講堂(13階)で行われた。
講師は、金沢21世紀美術館を設計した「西沢立衛氏」
テーマは「魅力ある美術館を創る」
中日新聞によれば
建築界のノーベル賞と言われる、米プリツカー賞を昨年受賞した建築家の西沢立衛氏は、
スライドを使い、自分が手掛けた美術館を紹介。
「金沢21世紀美術館」は、平屋の建物に複数の入り口を設け外面をガラス張りにした。
その意図を「開かれた美術館を意識した」。
官庁街に点在していた空き地を埋めるように建てた青森県の「十和田市現代美術館」は、
「街と建築、アートの連続した関係を目指した」。
とあった。
なぜ中日新聞を引用したかというと、
私は講演を聴いていないからだ。
案内を頂いたが、あえて出席しなかった。
なぜならば、
新美術館の運営方針が決定されていないのに、
世界的な建築家を招いても、
これまで設計した美術館の自慢話で終わることは目に見えているからである。
建築家の話より、
美術館の立ち上げ、運営の企画者から話をまず聴くことが
豊橋市の新美術館の計画には必要なのだ。
こんな講演会を企画する姿勢が
姿だけは斬新だが中身のない箱物行政を生み出す。
優れた企画とそれを運営する館長が決まれば、
あとは優れた建築家にまかせればよい。
必ずや、優れた美術館が生まれるだろう。
ここからが「建築家西沢立衛氏」の出番なのだ。
ところで、さらに前の話になる。
浜松で金沢21世紀美術館館長の秋元雄史氏を講師に招いて
アートによる都市の再生と創造をテーマに
パネルディスカッションが行われた。
ここでも講演は聞き漏らしたが、
懇親会とその後の関係者の会食に参加した。
その後、次の拙文を書いたのだが、
訳あって、ブログには載せなかった。
●
浜松での美術館談義
出席者の話を聞いていると、
秋元氏は現在美術界では飛ぶ鳥を落とす勢いの有名人らしい
そして、当然私とは初対面の筈である。
しかし、氏によれば
氏とは吉祥寺の双ギャラリー開廊記念展で同じくし、
頭文字が共にAのため、図録では並んで掲載されていたようだ。
我ながら、人を覚える能力の欠如に呆れている。
それも正確には翌日にギャラリーに確認し
詳しい事実を知ったというていたらくである。
浜松にはどんな美術館が可能なのか、
成功した美術館に憧れて、話は弾むのだが
話は結局は箱物作りに落ちていく…
建物や立地はもちろん重要だが、
それ以上に重要なのが、企画の充実、有能な学芸員の確保。
その前提として、館長への決定権を始めとした権限の集中が不可欠だ
秋元の言葉で印象的だったのが
「私は副市長クラスのポストで全権委任で招聘された。」
「金沢21世紀美術館の建設費は驚くほど高額だ。」
設計だけでなく、その後の展示企画にたいしても、
美術館の運営には、断固とした決断力が必要となる。
想像できる市民からの反対に対しても
決して揺るがない信念も要求される。
革新的な美術館を作ろうとするのならば、
その抵抗は生半可なものではない。
一見、理解者と思われるが実は保守的な美術愛好家の存在も恐ろしい。
多くの場合、善意の仮面を被っているから実に厄介である。
そして、行政の担当者の無知と驕慢も付きものである。
なぜならば、
革新的な芸術が市民の賛同から生まれた例は殆どない。
金沢の成功も実はその例にもれず、
そのことは成功の影に隠れ報道されないが、
「反対の嵐の後に勝ち取った成功」(秋元氏の言葉)なのだ。
秋元氏の前任地、直島の美術館の
モネにしても同じである。
今でこそ、印象派の巨匠だが、
印象派の名は否定的な意味で命名されたという事実だけでも
そのことが理解できるだろう。
革新的な芸術が現在のごとく市民権を獲得するに、
実に100年の歳月を要したのだ。
湯谷の家「改装」その4
これしか仕事をしていないと思われそうだが...
相変わらず、湯谷の家の改装の話題。
実のところ、秋の個展がせまってきて
今年は、東京での発表も同じ10月の末に重なり、
内心、怯えているのだが湯谷の家のことが頭から離れず、
我が心をいささかもてあましている。
そこで、本題に、
先々週の末から、宇連川を見下ろす庭の手入れ。
はびこっていた雑草と蔓草を取り除くと
下から現れたのは大量の敷石。
それらを一度撤去し、円形に敷き直す。
最も大きく平らな石は縁側の踏み石にする。

左、円形に敷石。
右、風呂から庭を見る。
この二つの写真はほぼ繋がった景色。
風呂にはシャワーを新設、
永い締め切りで傷んだ窓を取り替えた。
窓枠の傷んだ部分をカットし、
あり合わせのガラスのサイズに合わせて
窓枠の割り付けを決める。
この家の改装のテーマは素材の再利用。
風呂に入りながら、川の流れを楽しむならば
透明ガラスの嵌め殺しで、換気は別に取るのが
最も簡単で、普通の解だろう。
しかし、捨ててきた、方法、素材は本当に
つまらないものだったのか。
「あり合わせの素材の再利用」のテーマがなければ、
こんな窓枠の割り付けには行き着かない。
これが、この家の改装の面白さである。
「円形の石組み」しかり。
偶然出合った石の形状と量。
国定公園法で土砂は他から持ち込むことはできない。
動かす事の出来ない、既設の家と景観。
それらの自然な組み合わせが
生み出す結果である。
最後に最も重く大きな石を崖の縁まで運び、
川を座って眺めることのできる位置に据えて
敷石の配置はおおよそ完成。
午後には親しい画家夫婦が訪れ、
その後、この家についての取材を一つ受け、
土曜日は終了。
日曜日は10月からの個展の準備を終日。
そろそろ締め切りが近づいてきた。
その話題は次回からに...
湯谷の家「改装」その3
盆過ぎの「湯谷の家」の中間報告には
一日に約60名の方が訪れた。
楽しい時間を過ごしたが、
週末に二人を想定した家なので、
トイレのタンクが一杯一杯
設置以来の蓄積もあり、あぶなかった。
初めての田舎暮らし、色んな事がある。
風呂場に湯沸かしとシャワーの設置が終わり
内部はおおよそ完成。
これからも、作業は延々と続くのだろうが、
一応の区切り。
これまでも部分的に紹介してきたが、
再度撮影。

形ばかりの門と敷石、
前に住んでいた方が川から上げた石が敷地内に点在、
それを集めて利用したもの。

門を振り返って見る。

玄関前の敷石。
庭木を避けると調度よい曲がり具合。

玄関引戸は小ぶりなサイズが気に入っているのだが、
慣れない高さに頭をぶつ人が続出。
最初は私も数回ぶつけたが、
最近は大丈夫。
頻繁に遊びに来ていただいて慣れていただくことにしよう。

この夏は本当に暑い。
ほぼ真西に向く玄関に
手持ちののれんで日差しを避けることに、

狭い玄関。
低い引き戸。
細い障子窓。

玄関戸は古い小さな引戸の回りに枠をつけたもの、
間仕切りの竹格子は蚕の養殖に使ったもの(?)を再利用。

八畳の和室を板の間に、
台所と合わせてワンルームに。
軸を飾り、絵を掛け、花を生け、
古く、小さな仏様も安置し
やっと落ち着いた空間に。

床はアトリエに残っていた板を集めてのパッチワーク。
板厚を揃えることも、組み合わせることも、
本当に大変だった。仕事では不可能だろう。

部屋より宇連川を望む。
既設の庇には、ホームセンターで買った葭簀を張る。
座って、流れる川面が見えるのだが
写真では見えないのが残念。
この土地は東に宇連川、西に飯田線に挟まれ、
国定公園法と河川法の適用を受け、
重機の進入は不可能。
新しい土石の搬入も、新築もなかなか難しい。
つまり、あるものの再利用と人力で簡単に搬入できるもので
改造しなくてはならない。
その制約が、
これまでなら思いつかない結果を生み出している。
あかり
照明もまた一つの彫刻である。
違うのは内部に光を入れる空間が必要なことと、
光を透す素材でなければならないことだが、
時に光を透さない石なども使用し、
その隙間から洩れる光を利用する。
最近、建築の仕事をする度にその仕上げに照明を手作りすることが多い。
枝を組み合わせ、和紙を張る。
スイッチを入れると
和紙を通した柔らかい光と不規則な枝のシルエットが心地よい。
古来より人はあかりの周りに集まった。
暗闇のあかりはそれだけで人の心を呼び寄せる力がある。
彫刻としての「あかり」の怖さは、
光を入れればそれなりに機能してしまうことである。
それがため、
彫刻として自立することは簡単ではない。
枝も和紙も同様である。
素材そのものに魅力がある。
「素材を活かす。」その言葉は優しいが、
活かしているのか、頼っているのか
その判断は難しく、紙一重である。
絵画でマチエールという言葉がある。
絵画とは
ある一定の秩序で集められた色彩によって覆われた平坦な面といえる。
その結果もたらされる絵肌がマチエールである。
彫刻では素材そのものがすでにマッスではあるが、
それを一定の意味を持つマッスとして形成することで彫刻となる。
魅力的な素材を組立、積み上げ、
空間を占拠するだけでは彫刻と言えない。
(寄稿 景象・表紙の言葉 84〈彫刻としてのあかり〉より)
「湯谷の家」でも幾つかの照明を作った。
全て既設の器具を使用し、カバーを枝と和紙で制作し付け替えた。
蛍光管や電球も既設のまま、
順次、色温度の低いものに変えていく予定。

玄関のあかり

台所のあかり
壁にかかるコラージュは27歳のころの作品

和室のあかり

和室天井のあかり
軽く空間に浮遊した感じが気に入っている。

廊下のあかり

トイレのあかり
昔よく見た、袖壁やたれ壁の間に電球が入った照明のカバー。
照明のカバーを変えるだけで
空間が驚くほど生き生きしてきた。
部分を寄せ集めただけでは全体にならないが、
さりとて、
細部のディテールはあなどれない。
湯谷の家「改装」2
この夏は湯谷の改装に追われていた。
週末の作業だけなので遅々と進まず。
永い間ブログの更新を怠けてしまった。
まだまだ、完成にはほど遠いが、
ここらで中間発表。
これまで多くの建物をデザインしたが、
施工は職人さんに委ねてきた。
デザインとは「機能や生産工程などを考えて構想すること。」であり、
一種のマニュアル作りでもある。
指示できることは、
一般的な職人の経験の範囲に限られ、
図面で創造性や熟練度は指示できないし、
職人にそれを期待してもいけない。
他のデザイン分野も同様で、
職人の呼び名が流行りの「カタカナ」に変わったとしても、
その実態が変わる訳もない。
建築を規格・量産化し、
ビジネスとして機能させるには不可欠だった半面、
最近のデザインは美しすぎ、その上無菌になった。
手触りというか、美術でいうマチエールに欠けがちである。
作家の私と、デザイナーの私が葛藤し、
もどかしさと、欲求不満が募り、
時に、それらを無視してみたくなる。
今回の改築は私自身が納得すればいい上に、
自力での施工も可能な規模である。
これまでのように第三者の職人に伝わるようにとの、
細かな配慮や図面は不必要となり、
イメージと仕上がりの違和感もない。
(いささか技術不足ではあるが…。)
いざ始まると実に楽しく、週末が待ち遠しい。
しかし、体力的には大変で、めげそうな体を叱咤している。
最初の作業は約十年の閉め切りで、
床が抜けてしまった八畳の和室を板張りにし、
同時に台所との境の壁を抜き、ワンルームとした。
河の石を束石として床を組み、
床板は長年の間にアトリエに貯まっていた木材でパッチワークし、
長い間に買い求めた古い家具を組み合わせ、
流しと収納にしたことまでは既に書いた。
http://www4.atword.jp/ajioka/2010/05/24/%E6%B9%AF%E8%B0%B7%E3%81%AE%E5%AE%B6%E3%80%8C%E6%94%B9%E8%A3%85%E3%80%8D1/
古い家具なので一部建て付けは悪いが、
何よりも見てくれを重視するオーナー(私)故、
問題はない。
効率重視の社会から、
そろそろおさらばするための田舎暮らしでもある。

壁もまた、
アトリエに大量に残る和紙の端切れを重ね張りした。
それまでの力仕事に比較して幾分楽になったが、
脚立の乗り降りは、この夏きつい。
内部建具も既設の襖類に和紙を重ね張りした上に色紙や反古紙を張る。
壁に和紙を張る仕上げは茶室以外ではあまり見かけないが、
韓流ドラマで見た民家の風情と重なった。

土壁は陶芸の残粘土に、砂を混ぜ、
やはり残り物の荒縄や麻袋を切って入れ、
最後に洗濯糊を混ぜ込んだ。
それぞれの配分や練り具合は、全くの適当である。
本来、藁は長い時間漬け込んで繊維を柔らかくして使うものだろうが、
そんなセオリーにお構いなしが生み出す結果が面白い。
それにしても堅い上に捻れがあり、押さえつけても飛び出し、
塗りにくいことこの上ない。
しかし、塗り易いことが、結果に直結するとは限らない。
独りよがりのオーナーの評価は二重丸である。

これまでの作業に使用した材料の殆どは
アトリエの片隅に眠っていたものばかりだ。
美術(には限らず、現代の生産活動)とは、
かように様々な材料を消費し、
大量に無駄を排出するものだとしみじみ実感する。
既設の玄関にあった狭い土間を、
同じレベルの板張りにした。
当然、入り口の高さはそれだけ低くなる。
韓流ドラマでは、民家の出入りは頭を屈めて入るように見える。
茶室の躙口もそれを朝鮮から導入したものだと、
都合よい解釈をしてしまう。
極力既設を再利用する方針だが、
アルミ製木目プリントの玄関ドアだけは廃棄し、
少し小さめの古いガラス戸の回りに
アトランダムに木を打ち付け引き戸にした。
鴨居は電動鋸で何回も切り込み溝を彫る。
見本で頂いた梁材を上がり段と靴脱ぎに使う。
雨が当たり、その内朽ちて馴染んでくるだろう。
今は少し立派だ。

玄関戸は建物の顔である。
オーナーの家族の評価も上々。
照明はまだ既設のまま、
これも自作する予定だが、それはまた…
湯谷の家「改装」1
湯谷の家の改装を自力で始めたが、
なにせ、還暦親父の日曜大工、
遅々として進まないが、
やっと少しだけ見せることができる。
まずはパッチワークの床。
アトリエに残っていたあらゆる木材をかき集めて
大小構わず、樹種の硬軟も一切構わず、
大工仕事の稚拙さによる床材の厚さの違いにも決意はゆるがず、
僅かな隙間には目もくれず、
とにかく床下を隠すことだけを目指した数日。
こんな非効率的で経済性もないことに
挑む人がいないことに納得。
そしてアトリエ内の端材の多さにも驚き。

床は全てが完成後にワックスを塗って仕上げる予定。
机はまだ板のまま。最終的には脚をつけようと思っている。
数年前に出版した生け花の本「花頌抄」の撮影のため
( http://www.ajioka3.com/→花頌抄 )
買い求めた家具類がたまって、
アトリエを占領していた。
この機会にまとめて一つにして
湯谷の家のキッチンにすることにした。
積み重ねて、開いたスペースには
古い扉と引き出しを調達。
サイズをあわせ、
それでも埋まらないスペースは引き出しを作って調整。


シンクはステンレスのミニキッチン用を調達。
壁は思案中。
まだまだ先は長い。
まだ日が高い(雨で太陽はでていない)が
今週はここまで。
温泉につかって食事をして帰宅すると
笑点には間に合わないが
温泉「ゆ〜ゆ〜アリーナ」は歩いて5分。
人間、目先の誘惑には勝てないものだ。
露天風呂にゆっくりつかり、
ホールの足裏マッサージに座ったら、
隣のテレビで笑点が始まった。
今週も良い一週間だった。
壁打ちのある家、撮影日記[2]
やっと連休が終わった。
長いようで短い連休だった。
連休は、湯谷の家の改造に全て費やしてしまった。
最近は、湯谷だけでなく、娘にたのまれ、家具や照明を作ったりで
まるで大工か家具職人のように週末を過ごしている。
(出来上がりはもちろん本職のようにはいかないが)
日常的には、図面で指示して職人にお願いするのが当然で
自らが製作してはならないと考えるのが
設計者の不文律でもある。
そのため微妙なニユアンスは伝えることができず。
常にマニュアル化されたものの組み合わせになってしまいがちである。
微妙なニユアンスの必要なデザインを実現しようとすると
不可能ではないが、初めての仕事は危険率をみられ
とても高額な見積もりがでがちである。
その上、必ず完成まで現場に付きっきりになってしまう。
それなら、全て自ら手掛ければよいのだが、
建築は大きく、一人ではできない。
となると、図面で描ける範囲で納得できる形を選ぶことになる。
それが不満だった。
そんなことで少しずつだが手作りの部分を増やす試みをしている。
娘の住宅では、照明と家具の一部を手掛けてみた。
この敷地の地境には御影石の石垣が組まれていた。
今回の建設でそれが崩れてしまった。
再び石垣に組み直す必要もなく処分することにしたが、
一部を再利用して玄関横に光を入れてみた。

自分で組み上げれば、なんでもないことだが、
これを職人にお願いするとなると恐らく大変である。

玄関と階段上の吹き抜けには二つの大きな提灯を
欅の枝を組んで和紙を貼った。
これも最近の住宅には定番のようにぶら下げている。

南からの夜景。

付録です。
テレビ台まで造ってしまった.
材質は楠。材料を目一杯使ったので木口に様々な傷が残る。
それが、面白い。

壁打ちのある家、撮影日記[2]
壁打ちのある家。夕景編。
少しづつ、生活感が漂いだし、良い感じになってきた。
南面の壁打ち越しに、光の入ったサンルーム。
土の部分はアスファルトになる。

初孫の「旭」。
デザイナーの松永真さんに、
「今事務所は孫の託児所となって大変です」と言ったら、
「孫は可愛いだろ」の一言。確かに。
階段は一般住宅としてはかなり広い
有効で1230mmある。

この住宅は収納が多い
収納のコストと比較して収める品の価格は釣り合うのか
という議論はさておき、住宅新築時の収納スペースは
可能な限り、大きくとるべきである。
せっかく美しく完成しても、物がはみ出しては
効果も半減する。


トイレ、洗面、洗濯室、風呂は一直線に並ぶ
いろいろ作ったが、結果的にこのプランが
今のところ機能的にも良いと思う。

サンルームからみる夕暮れ。
夏になると正面の小学校のプールから
子供たちの歓声が聞こえるだろう。
暮れ行くころのティータイムもまた格別だが、
はたして、娘たちにそんなゆとりがあるのか。
それはいささか気がかり…
階段吹き抜けの照明は欅の枝に和紙を貼った
かなり大きめのものを二つぶらさげている。

まもなく玄関ドアの左に光彫刻が完成する。
とは言っても、なんのことはない。
以前使用していた石垣の石を組み合わせて
光をいれるだけである。
しかし、歴史がわずかでも、継続することは
悪いことではないだろう。

光彫刻、駐車場、植樹が終わると
いよいよ完了。
その頃にもう一度写真撮影。
またブログで紹介できるだろう。
