益子で久しぶりに土を採取した。
久しぶりに土の仕事がしたくなり、
準備をしていたところに、
栃木県益子町の「土祭」(ひじさいと読む。土方歳三のひじ)へのお誘い。
二つ返事で引き受けてしまった。
早速、13〜15日。会場を見がてら、土の採取に出掛けた。
益子は遠い。12日夜。東名豊川IC近くで食事後、出発。
足柄SAで一泊。午前中に益子到着。
町の担当者と
益子グランドホテル(?!)のオーナーKINTA氏とともに会場に、
9×18m、高さ6m。想像以上にでかい。

いつもながらの、後悔先に立たず。
小さな仕事ではどうにもならない。
7×1.53m程度の作品が、最低4点は必要と見当をつける。
午後、それに見合った土の採取に出掛ける。
初日、見事といえばあまりの空振り。絶望。
二日目。朝から雨。益子は私が出掛けるといつも肝心なときに雨。
益子は雨が多い。(益子の住民は私と違うことを言う。)
KINTA氏の友人であり、益子を代表する人徳者カックン氏に登場願って、問題全て解決。
昨日、採取できなかったポイントが採取可能に。
三日目。採取せずに帰る予定を変更。
突然、朝、5時半より採取に出発。

途中。カックン氏も合流。午前中に終了。

分かるだろうか。私を中心に点々とした土の採取跡。
横に5、縦に10のポイントで採取した。
これで、上下に連続する、縦1.5m、横7mの作品が2点仕上がる。
ほぼ、採取地の原寸になる。
ここでは、
今後50年間、益子で使われる粘土が採掘されたという。
新しい益子の歴史がここから始まると聞いた。
あれこれ、楽しみだ。
今年は遅い益子の桜も今や満開。
益子グランドホテルの庭では、花見の真っ盛り、

立つ鳥、酒の香りに心は残るが、
私にとっては、「笑点」のほうが重大事。
今なら、間に合うと、一路帰豊。
新東名開通の渋滞を駆け抜け、
良かった、間に合った。
たかが生花、たかが茶碗。されど…
小さな旅の話題を一つ。
まず最初の目的地は、
徳川氏の発祥地松平郷に程近く、
一万六千石の親藩として奥殿藩の歴史と文化を今に残す、
岡崎市奥殿町の陣屋で行われる骨董市。
緑のなか、20数軒が店をだしていた。
さして大きな骨董市ではないが楽しめる。
おそらく常滑のものだろう壺を一つ手に入れた。
その価値は知らない。
求める基準は花活けに使えるかどうか。
沢山持っているつもりだが、見るとほしくなる。

毎朝の花子の散歩とトイレをすませ次の目的地
津の石水博物館の新館開館記念の所蔵名品展
「川喜田家歴代コレクションと半泥子の芸術」にむかう。
半泥子は百五銀行第六代頭取他数々の企業の要職をこなしながら
書画、茶の湯、俳句、写真など実に多彩な創作活動を行い
なかでも陶芸は私個人の意見だが
近代の日本の陶芸では最も優れた作家である。
素人の遊び心を忘れないその天衣無縫な作陶は他の追従を許さない。
期待して出掛けたのだが、
第一展示室の「川喜田家のコレクションから」
の長次郎の黒茶碗と朝鮮の三碗が圧倒的だった。
そのためか第二展示室
お目当ての「川喜田半泥子の茶陶と書画」が
霞んでしまう。
半泥子を今まで見誤っていたのか。
いや、そんなはずはない。
半泥子にはもっと良い物があるはずだ
きっと学芸員の選定の誤りに違いがないと
愚痴をこぼしながら、博物館を後にする。
帰りは高速を戻るのが時間的には早いが
鳥羽からフェリーで伊良湖経由で帰ることに
1時間に足りない航路でも海を渡ると旅した気分になる。
結局、三河湾と伊勢湾を一週してしまった。
それでも朝7時半出発で、夕方5時半到着。
予定通り「笑点」に間に合った。
その後、念のため半泥子の図録を眺める。
やはり、もっと良い物がある。
同時に並んでいた近代の陶芸家の作品はさらにつまらない。
せっかくの半泥子の本拠地での展示が残念だ。
学芸員には半泥子に恥じない眼を持ってもらいたいものだ。
半泥子の随筆「泥仏堂日録」の「茶器の約束とは何ぞや」に
「作人を問題にするな。同一作人でも出来不出来がある。」とある。
まさか、半泥子本人だけは例外だ、とは言えないだろう。
明けて、求めた壺に早速活けてみた。

毎朝の花子との散歩で見つけた
豊川沿いのまさしく「どてかぼちゃ」
たかが生花、たかが茶碗。
されど生花、されど茶碗。
湯谷の秋
先日、
日本写真家協会会員の新村猛氏が湯谷の家を訪れ、
取材をかね、沢山撮影されていった。
その写真が昨日届いた。
湯谷の家の秋がよく分かるので一部を紹介させていただく。

湯谷の家にはJR飯田線で豊橋から約1時間。
湯谷温泉駅下車徒歩5分。
車でも国道151号で豊橋から約1時間。
若山牧水は鳳来寺紀行で湯谷温泉について次のように書いている。
「改札口で温泉の所在を訊くと、改札口から廊下續きの建物を指して、それですといふ。成程考へたものだと思つた。湯谷ホテルと呼んでゐるこの温泉宿はこの鐵道會社の經營してゐるものであるのだ。何しろ難有(ありがた)かつた。この大降りに女連れではあるし、田舍道の若し遠くでもあられては眞實困るところであつたのだ。
通された二階からは溪が眞近に見下された。數日來の雨で、見ゆるかぎりが一聯の瀑布となつた形でたゞ滔々と流れ下つてゐる。この邊から上流をば豐川と言 はず、板敷川と呼んで居る樣に川床全體が板を敷いた樣な岩であるため、その流はまことに清らかなものであるさうだが、今日は流石に濁つてゐた。濁つてゐるといふより、隨所に白い渦を卷き飛沫をあげて流れ下つてゐた。對岸の崖には山百合の花、萼(がく)の花など、雨に搖られながら咲きしだれてゐるのが見えた。その上に聳えた山には見ごとに若杉が植ゑ込んであつた。山の嶮しい姿と言ひ、杉の青みといひ、徂徠する雲といひ、必ず杜鵑(ほととぎす)の居さうな所に思はれたが、雨の烈しいためか終(つひ)に一聲をも聞かなかつた。」

湯谷ホテルはすでに閉鎖されたが、駅前に数軒の温泉宿が並ぶ。
その温泉街を左に、つまり川の上流に向かい、踏切をわたる。
踏切の表示は豊橋駅から38k569m。
湯谷の家はその先にある。

敷地のあちこちに散乱していた石を集めた露地。
アトリエと裏庭に飛び石でつながる。
http://www4.atword.jp/ajioka/category/%E7%94%B0%E8%88%8E%E6%9A%AE%E3%82%89%E3%81%97/

始めての秋。
やがて来る冬に備えて取りあえず自作した移動式の囲炉裏。
これだけで冬を過ごせればよいが、
寒さに応じて暖房は追加しなければならないだろう。

荒れた敷地の整備で最初に手がけた仕事が、邪魔な木の伐採。
その杉の木で作った椅子と机。
家の内部を改装中はここが休憩と食事の場だった。
今は役目を終え、森の中に移動した。

荒れ放題の裏山だったが、
やっとインスタレーションも可能な空間を確保した。


後ろを流れるのが宇連川。
先の若山牧水が
「板敷川と呼んで居る樣に川床全體が板を敷いた樣な岩であるため、
その流はまことに清らかなものである」
と書いた別名「板敷川」の秋。

河原に降り上流を見る。
飯田線の隧道が抜ける山の姿が美しいが
山の名前が分からない。

家の改装が終わったらここに穴窯を築こうと思っている。
薪は今から準備している。

愛する妻の由美子さんと孫の旭。
新村さんありがとう。
掲載二つ。景象とヤマケイJOY
たまたま、頼まれ原稿が二つ重なった。
其の一。
俳句雑誌「景象」表紙の言葉。
毎号表紙に使った作品について
思いを綴っている。

粘土を一掴み手にとる。それを二つに千切る。只それだけのことだが、それが中々難しい。
左手は粘土が動かないように持ち、右手で前に勢いよく押し切る。そのとき、右手の親指は粘土に食い込むようにするのか。それとも、否か。前に押し切るとは言っても、それは真っ直ぐ前なのか。右前方なのか、左前方なのか、その角度は。勢いよくとはどの程度の力なのか、ゆっくりではいけないのか。そのとき、左手はどのように対応すればよいのか。粘土の堅さはどの程度にするか。考えることは幾らでもある。その選択で結果が変わる。その上、選択した動きを実際の行動に移す時、その選択を意識する度合いで、結果はまた違う。意識が残れば結果に必ず作為が現れる。といって、作為がなくては手が動かない。
答えはすでに明らかである。制作にあたって、手順もその行為の結果も全て把握していなくてならない。しかし行為の瞬間にはその全てを忘れ、その結果に向かい、手順通りに行為するだけだと、頭では理解できる。しかし、それが中々難しいのである。 粘土を手にして、二つに押し切る。たったそれだけの事が思うようにはいかない。それがさらに複雑な行為となると、その困難は想像にあまりある。それが、簡単な行為を選択する理由である。そして、同じような行為を、いつも新鮮な気持ちを持ち続けて挑むこと、それがさらに難しい。
其の二。
ヤマケイJOY.
登山の専門誌に、ここだけの四方山話というコーナーがある。
今回届いたテーマは、夏の「遊び」。

田峯念仏踊り 撮影山本宏務
奥三河山間部、設楽町田峯の盆は月遅れの八月一日「釜の口明け」で始まる。十四日は村の先祖を供養する「御法楽」、十四・十五日は「初盆供養」、十六日は無縁仏の精霊を送る「餓鬼送り」。
そして、十七日が「観音様の盆」。田峯観音境内は、里帰りした人たちが加わった手踊りで賑わう。二つの燈籠に灯が入ると、いよいよ道行。観音道行を奏でながら御坂の石段を登っていく。曲が数え唄に変わると、正装、浴衣で着飾った念仏衆が踊りながら、対角状に観音堂の庭を一直線にそして厳粛に貫いていく。ふと、黒沢明監督の映画「夢」の一場面、狐の嫁入りを思い出す。美しさの中に少し恐れを感じさせる行列は、まさに精霊の出現。中央櫓の横を通り過ぎると、笛・鉦と太鼓ではね踊る「かけ庭」。その後に音頭取りの唄に合わせ、櫓を中心に老若男女が一つの輪になる「手踊り」。この手踊りが、現在平野部の多くの町で一般的に行われる盆踊りの原形なのだ。
早いもので今年も明日から夏。
庭の梅の実もふくらんでいる。
雨の降り出す前に収穫しなければと、
すっかり、田舎暮らしぶって
日々が過ぎていく。
太神楽がやってきた
なんとも豪快な椿がやってきた。
大輪で華やかな咲きぶりはいかにも太神楽の名がよく似合う。
花弁が複雑に絡み合って咲くことを「獅子咲き」と呼ぶが、
伊勢太神楽とは
かつて獅子舞をしながら伊勢神宮の御札を配布してまわった人々のことで、
名の由来もそこかららしい。
予告なく、突然の訪れだが、なにぶん既に満開。
仕方なく、仕事は一時中断。
急ぎの仕事がなくて良かった。
(秘密だが、実は仕事よりも花を生けることの方が楽しい。)
しかし、問題は山積みである。
そもそも他人が切った花材は使いにくいのに、
花の大きさに比較して、枝が極端に短かい。
ところが、主義として、出来る限り剣山は使いたくない。
花材の形状と重力と、花器の関係で
生けたいと常々心がけている。
そして、貧乏性だから選ばず全て使いきる。
その全てを満足させるのは、なかなか難しいが、
まったなしで、一期一会を楽しむ、
これが「花の醍醐味」でもある。
頂いたのは六枝、自作の茶碗を一枝に一碗。
合計六碗を一列に並べることにした。
これなら短い枝でも器の壁が支えてくれる。
一輪ごとの豪快な咲きっぷりもよく見えるし、
花器も負けないだろう。
正直、自分ではなかなか選ばない花材だが、
それゆえのギャップとの戦いとその戦果もまた、
花を生ける楽しみである。

突然の来訪者はこれだけではなかった。
月光椿、侘助と事務所は一時の椿づくし。


長く楽しめる花だが、
そろそろ今年の椿も終わりが近づいてきた。
田舎暮らし お試し版
いよいよ田舎暮らしの予行練習が始まった。
24日には内部の荷物を運び出し、
壁天井の解体から開始。
まだ生活が始まらないのに、気分は田舎暮らし。
しかし、本音は不安の山。
薪割りも心配の一つ。
薪などは買えばよいのだが、
せっかく田舎暮らしを始めるのだから
可能な限り手作りにしたいものだと
今のところは強がっている。
そこで、手に入れたのが手動薪割り機
カタログ通りならば、パワーは7tで
径30cm、長42cmまで割れるという。
さっそく試し運転。




昨年の10月の台風で倒れた径25cmほどの欅を手に入れた。
枝をはらい、そのまま野天に捨てられていたものなので、
だいぶ乾きが進んでいたようだが、
怖いように割れていく。
ゆっくりだが、汗もかかず女性でも大丈夫。
おそらく伐採直後ならもっときれいに割れる。だろう。
景象・表紙の言葉:81
俳人星野昌彦氏が主宰する俳句同人誌「景象」の表紙の言葉:81
備前手捻り瓶

絵画とは、支持体つまり紙や布や板などを、なんらかの接着剤を用いて、顔料つまり色の粉で覆うこと。その覆い方に作者固有の美的な秩序が求められ、結果としての絵肌をマチエールと呼ぶ。美術用語としてのマチエールとは、絵の具その他の描画材料のもたらす材質的効果や絵肌を指すが、私の考えるマチエールとは作者が必然的に為した行為の軌跡。それは体質そのもので、創り出すものではない。
絵画を鑑賞するにおいて、我々は何が描かれているかより前にマチエールに惹かれる。それが文学であれば、なにが書かれているかより、その文体に。それが歌唱であれば、なにを歌っているかよりも、その声質が人の心を捉えて離さない。裸婦像ならば、その女体の姿に惹かれるのではない。女体を形作っている肌のマチエール、つまりそれを生み出した彫刻家の手の動きに我々は魅せられる。それはおよそ直感的で、そこに判断の入り込む余地はない。
今回の表紙は手捻りの花瓶である。備前の土を安曇野の友人の穴窯で焼いたものだ。土を指先で押さえつけ順に上に上げていく。そして序々に径を細め指の太さに口がいたって作業は終わる。中は空洞である。力強くと押さえれば潰れてしまう。押す力と同じ引く力で土を練り付け続けていく。その結果として私のマチエールが生まれ、花瓶であることはその結果である。