「そう」34号 発刊
「そう」34号が、今日刷り上がった。
キーワードは「時」
表紙は24時間で地球儀が一回転する「自動地球儀時計」
今は無き「豊橋時計」製造。
それが印刷された、当時の絵葉書。

時の流れるのは速いもので、
今年の暮れには、創刊10年である。
毎回のことだが、キーワードへの駄文を書いている。
●
時は流れ
まもなく春が来る

豊川稲荷 撮影 八木史子
除夜の鐘を聞きながら、まとまらぬこの拙文を考えた。
「時」とは流れるもの。過去から未来に向かって、留まることも、遡ることもなく、流れていく。古の人々は、時の流れの変化に「無常」の想いを募らせた。
今年のNHK大河ドラマは「平清盛」。そこでは清盛の生涯を中心に壇ノ浦の戦いまで、平家の栄枯盛衰を語り部・源頼朝の視点を通して描くという。古典の授業で暗記させられた、冒頭の一節が頭に浮かぶ。
「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす おごれる人も久しからず ただ春の夜の夢のごとし… 」
流されるだけの「時」もある。「時の流れに身をまかせ あなたの胸により添い 綺麗になれたそれだけで いのちさえもいらないわ… 」とテレサ・テンが切なく歌い、沢田研二は「時の過ぎゆくままに この身をまかせ 男と女が ただよいながら 堕ちてゆくのも しあわせだよ… 」と絶唱したのは日本がまだ元気だったころ。変わらぬ愛など望むべくもなく、刹那の愛に溺れる男と女… 。
そうだ、刹那は仏語で、時間の最小単位… 。と、とりとめもない。
大晦日は、古い年を除き去り、新年を迎えることから「除日」と呼び、その夜が「除夜」。
除夜の鐘の起源は中国宋時代の禅寺。梵鐘の役目は、時を知らせること、つまり「時の鐘」。朝夕の一日二回、百八つの鐘を撞き、法要の始まりを知らせた。鎌倉時代に日本へ伝えられ、室町時代に除夜だけとなり、それが、いつしか百八つの煩悩を消滅するためと解釈されるようになった。
時は、時刻の単位である。日本では明治六年以来、一昼夜を二十四等分し、太陽が子午線を通過する時刻の十二時間前を零時とする定時法が使われている。それを「とき」と読む場合、古い時法の単位となる。日の出から日の入りまで(あるいは夜明けから日暮れまで)の六分の一を一時とした。そのため、昼の一時は夏は長く冬は短い。これを不定時法という。
除夜の鐘は、通常、大晦日の晩に百七回、残る一回は新年になってから撞く。ところで、一年の始まりは同時に一日の始まりだが、果たしてそれは何時か。
その昔、昼と夜は別であった。日没から日の出までを神の時間、あるいは神の一日と考え、日の出から日没まで、いわゆる昼間を人の時間、人の一日とすれば、一日の始まりを夜明けとすることに不思議はない。
午前零時以前に始まり、夜半を過ぎて最大食となる月食は前日の日付とする風習が長く続いたのは、夜を一続きのものと考えていたことの名残り。
さらに古くは一日が日没から始まると考えていた。祭りもそれにならい、一日、つまり日没に始まり、日没で終わるものだった。その前半が宵宮で、神が真夜中に降臨することを考えれば、宵宮が祭りの中心だったのは明らか。しかし、一日が日の出に始まると考えるようになると祭りは二日続きとみなされる。すると翌日、日が昇ってからを本祭と呼ぶようになり、宵宮は本祭の準備や前夜祭という軽い意味合いに変わっった。
今日も、昨日とさほど代わり映えのしない一日になりそうだが、確実に明日は今日になり、昨日になり、まもなく春が来る。
●
季節には必ず春が来る。
我が春夏秋冬叢書にも、まもなく春が来る。
おそらく来るだろう… 。
「景象」90号 表紙の言葉
俳人星野昌彦氏が主宰する
同人誌「景象」の表紙に毎号作品を掲載し
拙文を書いている。
90号は、このブログでも「線庭日記」〈プロローグ〜1/16〉として紹介した
「Straight Line あるいは線庭」について

「2012年、正月早々、「現代美術展 in とよはし」の準備に追われていた。会場の豊橋市美術博物館が建つ、吉田城趾(豊橋公園)の一画には、その歴史を物語る石が多数残る。あるものは石垣の一部、兵舎の門扉と想像できる切石がある。どこで使われたのか蹲や、二頭のライオン像まである。それらを美術館の前庭から裏庭まで約100m、館の中心を貫き、一直線に並べようというプランの作品だ。
芸術は自己表現である。そこで問われるのは独自性であり、個人性である。自ら加工した石はかけらもない。そればかりか、線上の中庭には開館以来鎮座する、私とは趣味の違う石彫もある。線を中断させる池や通路以外にも、様々な障害となりうる施設があり、その上、床や地上面には模様まである。それらと、一旦、対峙する姿勢を見せれば、それら全てが障壁として立ちはだかることになる。
妥協でもなく、あきらめでもなく、一切を排除せず、全てを許容し、委ね。選ばず、迷わず、考えず、ただひたすら並べる。しかし、人は考えを止めることはできない。作為無くして、石は一直線に並ばない。ではどうすればよいのか。石を一直線に並べると決めた、その刹那に、その後、起こりうる全てを許容できるプランであったか否か、それが全てで、その後の推敲などは、枝葉末節に過ぎない。炬燵に潜り込み、プランがフッと湧いて出てくるのをまつばかり。出なければそれまでである。」
毎号、締め切り数時間前になって、あわてて書き出す、
アートならば、出なければそれまでだが、
引き受けた以上、なんとかしなければならない。
書けなければそれまで、とは言えないのが苦しいところ。
それならば、引き受けなければよいのだが。
それが中々そうもいかず、
安請け合いばかりしている。
しかし、締め切りとは有り難いもので、
それがやってくれば、
書き出すこともできれば、
時間切れを理由に駄文でごまかすこともできるというものだ。
韓国ソウル「ペーパーロード、紙的想像の道」
五月、韓国ソウルで「ペーパーロード、紙的想像の道」を
テーマとするデザイン展が開催される。
ポスター、ブックデザイン、紙プロジェクト、タイポグラフィの四部門で構成され、
韓中日から選抜された、
約百名のデザイナーが出品するポスター部門に私は招待されている。
会場は国立の「芸術の殿堂 デザイン美術館」。
約二十年程前に開館、その開館記念展にも招待され、
出品作はその美術館に収蔵されている。
経済面での最近の韓国の躍進は目覚ましい。
官民一体の活動の成果である。
デザインも同様で、日本では公立のデザイン美術館はない。
今、おそらく韓国よりも日本のデザインの方が上であろう。
しかし、それが何時まで続くか。
やがて、追いつかれ、追い越されそうな、勢いが韓国にはある。
Asia Creative Academy 2011秋 其の1
で韓国ACAでの講義について書いたが、
ACAは産官学の協力で、社会や大学を卒業した後、
さらに上を目指そうという学生が学んでいる。
学生のレベルは驚くほど高い。
そこと提携する同様な学校が東京青山にあるが、
その運営はデザイナー個人によって行われ、大きく違う。
これまで日本を支えてきた仕組みが時代に対応できなくなり、
韓国の躍進、日本経済や地方の衰退は全て同根である。
ともあれ、今年中に完成を目指す明朝体のためのポスターを出品した。
それぞれ突・破・畳・折・切の一文字を画面の中央に大きくレイアウトし、
それぞれに直接、突いたり、破ったりの行為を加えた。


大量生産を前提とすればいささかタブーな作品だが、
成熟し、チャレンジ心を失わんとする日本には必要な試みなのだ。
FONT1000大阪展
FONT1000大阪展が昨日始まった。

昨日は祖父江愼氏を招いて、七種泰史氏と私、
それと司会を大阪の高田雄吉氏にお願いして
スペシャルトークショーを開催。

平和紙業 大阪. PAPERVOICE提供
大阪はもちろん、福岡、姫路、徳島、福井と多くの方が会場に訪れ
遅くまで熱く盛り上がった。
想像以上に関西はタイポグラフィに関心があるようだ。
それに比べて、(我が地元である筈…? )の名古屋の関心の薄さは何だ。
名古屋のグラフィックデザイナーは、たかが文字と思っているのだろう。
欧米でグラフィックデザインとは実はタイポグラフィのことで、
むしろタイポグラフィが一般的な用語である。
たかが文字ではない、
コミニュケーションにとっては文字が全てと言って過言ではない。
イラストレーションや写真ではイメージは伝えることはできるが
具体的なメッセージは文字で表現するしかない。
イラストレーションや写真が無く、文字だけのポスターは存在するが
その反対に文字の無いポスターは存在しない。
故田中一光氏のポスターの殆どが素晴らしいタイポグラフィと
美しい色彩で表現されていた。
それが今も我々にデザインの本質を教えている。
名古屋のことなどさておき
東京・名古屋を巡回しFONT1000大阪展は16日まで。
国内での展示はこれで終了するが、
5月10日からは韓国ソウルでの開催が決まっている。
韓国文化体育観光部アジア文化中心都市推進団主催の
「ペーパーロード、紙的想像の道」には
韓・中・日から多くのデザイナーが参加する。
そのイベントにFONT1000展は組み込まれている。
韓国ではデザインも国をあげ応援し、熱い。
FONT1000展とは別に
本展示の韓・中・日のグラフィックデザイナー約100名による
ポスター展に私も招待されている。
それらの詳細はまた後日。
書くこと、並べること
豊橋市美術博物館との同時オープンのため、
個展の初日に遅れて、21日は個展のオープニングパーティ。
久しぶりに映像を流してトーク。
今回の話のテーマは「書くこと、並べること」
私にとっての「文字を書くこと」は前回のブログに書いた。
そのことと「物を並べること」はどのように繋がるのか。

ここで写している作品は1987年の双ギャラリーでのインスタレーション。
ギャラリーに隣接した井の頭公園の枯れ枝をギャラリーの床に並べたもの。
一筆、一筆、画面に点を書くように枝を並べてみたものだ。
夜、客も帰り、静まりかえると枝に棲む虫たちの枝を噛む音が聞こえだし、
朝、枝の下に木屑の小さな山ができていた。

オープニングを終え、
帰宅すると奇しくも
双ギャラリーの塚本豊子さんがギャラリー創設の1985年からの15年を記した
『画廊と「日常」』が届いていた。

私と双ギャラリーとのお付き合いは長く、
それほど、太い縁ではないが折り目折り目で声を掛けていただいた。
記念展にも何回か参加した。
早速、一読。
幾つかの現場に立ち会った者としては
文章には書けないのだろう行間が想像でき
面白かった。
個展 春と修羅より
「現代美術 in とよはし」の開会式が豊橋市美術博物館で行われ「線庭」が公開され、
同時に豊橋市内のギャラリーサンセリテでの個展「春と修羅より」も始まった。
入口には芭蕉の句。



今回のタイトルは「春と修羅」
宮沢賢治の詩集を中心に書いてみた。
今回の個展も文字を書いている。
何故文字を書くのか。
絵画とはなにか。
それは画家の美意識によるストロークで紙面を満たすことだ。
それが具体的なものを描くのであれ、
何ら具象性を持たないものであれ
結果としてストロークで画面が満たされることには違いない。
その意味で画面に何が描かれているかは絵画の制作に関係ない。
観る者は画面のストロークと
それによってもたらされるマチエールに惹かれる。
それは、歌手が歌う歌詞の内容以上に
その歌手の天性の声質に我々が惹かれることに似る。
もちろん、描かれる内容や歌詞の意味が
無意味と言っているのではない。
マチエールや声質が人間の感動に対して
それがより直接的で、
強いインパクトがあると考えている。
通常の絵画ではストロークが前もって決められることはない。
描くにつれ、その結果をもとに、
それが瞬間的な判断であれ、作者の意志で決められる。
対して「文字」を書く場合
文章には前もって、文字の並びが決定され、
その文字には書き順が決まっている。
つまり、作家はその手順の通り手を動かしていく。
その結果、画面がストロークで満たされる。
それでは現代の書家の全てが皆そのような評価の対象かと言えばそれは違う。
なぜならば、そこには「上手な字」「読みやすい字」あるいは「古典に忠実な字」
前もって、「画面構成を考え」てみたり、「書く文字の形を考え」てみたりと
只「文字」や「文章」を書くには至っていない。
只「文字」を書くとは、紙面に関係なく、
例えば中央に文字を書くことでもない、
それもまた、中央に文字を書くという構成である。
只「文字」を書くことで、線が生まれ、空間が生まれる。
それ以外の何物かの介在を許した瞬間、画面は破綻し品格を落とす。
それが「文字」を書くことの意義であり、
「文字」を書くことを選択した理由。
そこには作為も虚飾も存在は許さず。
己を守ってくれる武器を持たず、
己の存在をかけて文字を書くことに対峙する
己がいるだけ。
難しいことを書いてしまったが
結果はそんな難しいものではない。
「現代美術 in とよはし」の「線庭」と共にご覧ください。
個展は、2月12日まで
オープニングパーティは
1月21日(土)午後6時30分より
お待ちしております。
線庭日記 1/16
掲載を一日休んでしまった。
それには理由がある。
バールで石の微調整をしている時に
ヘルニアを再発してしまったのだ。
一時は横になることも出来ず。
只痛みに耐え、
やや収まった時、夏目氏が様子を見に現れた。
これぞ救いの神。
彼の助けで最後まで残っていた石の搬入を終えることができた。

予約していた整体に直行。
その時にはベットに上がるだけで悲鳴を上げていたのに、
体をさわってもらい始めると先ほどの痛みが
嘘のように消え、なんとか歩けるまでに回復。
帰宅し、体を休めることに専念。
とてもブログの余裕はなかった。
一週間、いろいろあったが
なんとか、美術館を貫き100mの列石が完成。
美術館の過去、現在、そして未来へと繋がれとの思いを込めた。
日本中の町や村が中央と地方の格差や
地域文化の崩壊にさらされ。
地域の美術館もその波と無縁ではない。
しかし、細くささやかだが一筋の道はできたと信じたい。






翌16日は地元の新聞社とケーブルテレビの取材が午前中。
午後からは、サンセリテでの個展の飾り付けが待ち受けている。
そして17日は同時オープン。
それらの報告はまた明日。
少しゆっくりしたいのだが、
まだまだ休めそうもない。
線庭日記 1/14
昨日までで搬入はほぼ終了。
今日からは、細かな調整を一人で行う。

まだ微調整まえの前庭、子供が石の上に乗ったり、
お婆さんが腰掛けにしたりと、
会期前だが、すでに景色に溶け込んでいる。
公園緑地課からクレーム。
夜、危険だから点滅ランプの設置の要請。
自転車に乗った人がぶつかるそうだ。
屋外のインスタレーションは夜も展示時間だ。
公園には庭園ライトもある、
自転車にもライトは義務だろうと、
一言いいたくなる。
今日の作業はバールで持ち上げ石をはさみ安定を取り、
真っ直ぐに並ぶように調整。

ギャラリースペースで展示しているのだろうお年寄りが
聞こえよがしに「こういう作品は独りよがりになりがちなんだ」と
独りよがりな発言。
「作品というのは独りよがりに決まっているだろ。
あなたたちは仲良しグループでみんなで誉めあって楽しいでしょうね。」
と言ってやりたいが、ここは大人になってぐっと我慢。

中庭に面して配置した蹲に水を試しに入れてみた。
なかなか、いい感じ。
石を洗うために購入した高圧洗浄機が威力発揮。
作品だけでなく、作品回りもおそらく開館以来の水洗い。
良い会場になりそうだ。
今回の展示で、美術館の使用の巾が広がってくれるといいのだが。
明日は、最後の調整。
長い展示もいよいよ終了だ。
線庭日記 1/13 修正版
昨日書いたものにエラーがあったようなので、
1月14日の朝に書き換え、書き足した。
昨日(もう一昨日になるのだが)の後庭前のギャラリーの展示。
ギャラリーの受付で使用中でここだけは完成出来ない。

他のギャラリーで展示中に搬入するのも問題だが、
やはり、企画展示の美術館と市民ギャラリーは別の施設にすべきである。
市民や老人クラブの作品展と企画展が同居するのは
どう考えても問題がある。
作品を見る意識まで一緒くたにされそうで、
これでは本来の美術を提示するのが難しいだろう。
などと、今回の搬入には様々なことを考えさせられている。
しかし、搬入そのものは面白く楽しい。
そして順調だ。
朝8時半より、他の展示室の邪魔にならないように
(内心は、こちらは企画展の展示なのにこんなに神経を使うのかと、少し不満。
さらに内心は、それほどではないのだが、人には言って見たい時もある。)
開館前に段差のある中庭に機材の搬入。
今回の人力作業でもっとも足場が悪く、
その上段差があり、危険をともなう。
細心の注意をはらって段取りをする。
ギャラリーから同じレベルの桟橋を出して
チェーンブロックで釣り上げ、その後桟橋を解体
下に用意した台車に降ろし 、
砂利の上に敷いたコンパネの道を移動。
三つ叉とチェーンブロックで再びつり上げセット。



手持ちの機材が、フル出演だ。
こんな機材を持ち、肉体労働に励む人間が
これが終われば、コンマ何ミリの世界で
タイプフェイスのデザインをする。
この落差は我ながら尋常ではないと思う。
美術館で知り合いに出合うと
石の職人かと思ったら味岡さんではないですかと驚かれ、
私を知らない人は間違いなく専門の職人と思うだろう。
午前中に中庭の半分まで終了。
残ったもう一匹のライオンも無事中庭に入ってくれた。
午後からは残り半分の作業。
さすが疲れる。2時間作業するともう耐えられない。
休憩をたっぷり取って作業する。
八角形の何かの台座のようなもの
何にしようしたのか、羽子板のような形に加工したもの
中庭には面白いものが多い。

心配していた中庭も順調に終了。
中庭の中心に訳の分からない彫刻が鎮座しているのだが
それも気にせず、線庭の一部として
仲間はずれにもせず、心の広いところを見せた?。

美術館を貫き100mの石の列が貫き、全貌が見えてきた。
最後に中庭のドアを閉め、
その前に 礎石に使われたであろう
今回の人力での搬入で最も重量のある石をセット。
1トンのチェーンブロックの限界に近い。
玄関の風除室の中にも礎石の一つを入れる。
土の汚れがひどいので、
見かねた学芸員の大野氏が水洗いを手伝ってくれる。

担当学芸員以外にも積極的に手伝って頂き、感謝。
礎石の柱穴には水を入れることにする。
その写真はまたのお楽しみ。
今日の作業でおおよその配置は完了。
明日は微調整をする予定。
線庭日記 1/12

昨日展示したロビー。
正面のガラスに石が映り込み池を越えて石が伸びている。

やはり昨日展示した後庭をギャラリーから見る。
日本庭園の竹に石がなじんで美しい。
この美術館は動物園の跡地に建つ。
おそらく、入口にあったのだろうペアのライオン像。
左の像は顔が欠けているのだが、
その方が像としての強さがあるか。
作り過ぎた欠陥を自然の力がおぎなっているのだ。
ライオンの後ろには蹲がある。
どこかに日本庭園があったのだろう。
展示して、水を張る予定。
本当は館内で水の使用は許されないのだが、
お願いしよう。
ライオンの設置。
公立美術館ゆえの様々な問題、
人の手による彫刻。
歴史の残像、その全てをそのまま受け入れ、
ひたすら並べることで全てが生かされ、
私も生かされる。
午前中の最後の作業、中庭の前に蹲を据える。
光が差し込めば、水が美しく見えるだろう。
石を直接床に据えること、
水の使用、
ロビーやラウンジ、
前庭、中庭、後庭での展示、などなど…
この美術館では始めてのことばかり。
関係者の協力に感謝。
今後の美術館使用の良き先駆となることを願う。
午前中の作業終了。
午後は、後庭の前のスペースに展示。
その報告は明日とする。
美術館の各部屋は貸しギャラリーとして使用中。
その横や前での搬入なので目障りらしく、ささいなトラブル。
その根本の原因は豊橋の美術館の問題点の一つ、
企画展示室と市民ギャラリースペースが分離していないことによる。
そのため、
企画展示と貸しギャラリー展示との違いが
分からない方も多い。。
一日も早い、市民ギャラリーの開設が望まれる。