Out of sight does not mean out of mind.
Posted by gorira
衆院選前、最後となる閣議が25日午前に開かれ、激戦さなかで、日焼けした閣僚たちが全国から首相官邸に集まった。
報道各社の情勢調査で与党の劣勢が伝えられているだけに、閣議後の記者会見では悲壮な声が相次いだ。
麻生首相は閣僚懇談会で「前回は自民党が圧勝と伝えられたが、実際の得票数は(民主党と)かなり拮抗(きっこう)していた。最終、最後まで死力を尽くしてみんなで頑張ろう」と激励した。
だが、甘利行政改革相は記者会見で、「風の強さは小泉旋風の比ではない。このまま推移すると、史上初めて1党だけですべてを決めることができる(議席の)3分の2を超える可能性も出てくる」と危機感をあらわにした。
記者会見後に予定される2010年度予算案の概算要求に関する内閣府の説明についても、「1分1秒でも早く選挙区に帰らなきゃいけないので、それこそ3分、5分で済ましてもらいたい」と注文を付けた。
野田消費者相は「厳しいデータと実際の肌合いの違いに苦慮している。政権交代というムードと戦っている感じだ」と苦笑を浮かべた。
塩谷文部科学相は、民主党が掲げる「子ども手当」や高速道路の無料化、高校教育無償化などを挙げ、「目先のお金につられて、みんなそんな(政権交代の)雰囲気になっているのかな、という気もする」と力なく語った。
~あなたに"人の心"はありますか? 民主党に投票するだなんて、人の心はありますか?~
Out of sight does not mean out of mind.
見えなくなったことは、心から消えたことではない。人間には心があるから、物理的に見えなくなっても、心にはずっと残る![]()
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それが「人間らしさ」だ。
1951年、イラク北部シャニダール地方において、大規模な発掘調査がはじまった。約7年の歳月をかけて発掘したものは、ネアンデルタール人の化石だった。
シャニダールの洞窟から発見された大量のネアンデルタールの化石の周囲からは、シキミ科目の植物花粉も同時に発見された。
ここから、「ネアンデルタール人は"お葬式"をしていたんだ」と当時多くの研究者が想像した。つまり、花粉があるということは、今日の私たちがしているように、死体に対して献花をしたと考えたのだった。
だが、猫の死体の側に花粉があったからといって、猫が「お葬式をしている」と考えるのは、飛躍しすぎてた。
ネアンデルタールの化石の多くは「調理痕」と呼ばれるものがある。つまり、石器で肉をはぎ取られ、或いは削り取られ、はたまた砕かれた状態で、ネアンデルタールの骨は見つかる。つまり、多くは原型を止めていない。
ネアンデルタールは、家族の誰かが死ぬと、まず額を漬け物石程度の大きさの石をふづてけたたき割り、脳を取り出す。
脳は栄養価の高く、「家族の死体は食べもの」という認識があった。脳だけではなく、大腿骨や脊髄も砕かれ、栄養価の高い「骨随」を取り出して食べていた。
ネアンデルタールの共食いの習慣が明らかにされたのは、彼らの糞の化石が見つかったことだった。ネアンデルタールの糞からは、同じくネアンデルタールのヘモグロビンが検出されたのであった。
つまり、ネアンデルタールが口もとから死肉の血がしたたる様子を想像してみてほしい。
「調理されたネアンデルタールの骨」は決して、病気や加齢で死亡したものではない。
まだ若い骨も多くあり、彼らは基本的に「死」という概念は理解できず、自分以外の存在は全て食べ物だと考えていた。
この点、少なくとも共食いだけはしないライオンやタイガーよりも、彼らネアンデルタールは倫理的に劣る。
ネアンデルタールの骨が発見される地域は、その地域に肉食獣が棲息していない地域に限られる。
ネアンデルタールは死体を埋葬せず、洞窟などに放り込むので、肉食獣が棲息する地域だと死体は食べられて四散してしまうからだ。
その点、人間は違う。
ネアンデルタールが3万年前の世界で「死体を食べていた頃」、人間であるホモサピエンスは10万年前の世界から、「死体を埋めていた」のだ。それどころか、鹿の骨を削ってつくったアクセサリーまで副葬品として埋めていた。
人が何故死体を埋めるのか。
それは、家族の死体が動物や鳥によって食べられて、眼球が取り出され臓器が露出し、肢体がバラバラにされる様子を「見るに耐えない」と考えたからだ。
死者の痛みに共感し、その人は死んでしまったけれども、「心の中」では生きていたからだ。そう、生者の記憶の中に、死者は生きていた。
今日の私たちと同じだ。誰か大切な人が亡くなった後、その人の姿を見ることは出来ない。しかし、視覚的に見ることが出来ないからといって、心から消えたわけではない。
「弔意」とはそのようにして起きる。
冒頭で紹介したシャニダール遺跡のネアンデルタールの骨の周囲から花粉が見つかったが、「他のネアンデルタールの骨」と照らし合わせて、ネアンデルタールが献花し葬式をしていた根拠にはならなかった。
花粉は風邪や動物が運び、或いはもっと後の時代になって地層が崩れて花粉が紛れ込んだか、或いは花粉がシキミ科目の植物であることから「死臭」を消すために消臭剤であると考えられた。
人とネアンデルタールは形態的にも頭骨も異なるが、決定的に異なることは「心の有無」だ。
人は、亡くなった人たちが心の中にいる。
しかし、ネアンデルタールにとって、見えなくなることは心の中から消えることだった。
2009年8月15日、日本。
例年の通り、先の大東亜戦争で亡くなった方々の慰霊のため、天皇陛下ご臨席のもと、東京都千代田区の武道館にて、戦没者慰霊式典が執り行われた。
麻生太郎総理をはじめ、公明党幹部も出席した。
今の日本があるのも、先の大戦でその命を後世の子孫のため捧げてくれた方々の「礎」があるためだ。
だからこそ、今日に生きる私たちは「弔意」という感覚を持つ。
亡くなった人たちは、もう目で見ることは出来ない。
しかし、目に見えなくなったことは、心から消えることではないからだ。
そう、「人ではない種族」を除いて。
民主党の党首をはじめ、社民党、共産党は、慰霊式典に参加しなかった。
彼らは、靖国神社ではなく「無宗教の施設を」という意見を持つ。しかし、そのような意見をいうためにはまず弔意があることが前提だ。
だが、彼らに弔意は無かった。
彼らは人間ではない。
勿論、彼らが人間ではないことは、彼らの頭骨をみれば、「ホモサピエンスではない」(※2002年以降、人類と旧人が混血している事実が発見されている)ことはわかる。
しかし、「弔意がない」という決定的な事実が、彼らの行動によって証明された。
動物は動物同士で群れることだろう。
従って、民主党は選挙で勝つことだろう。元々、民主主義とは、「一番最初に動物を淘汰した地域の人たち」が世界で一人勝ちするための制度だ。
だが、それでも私たち人間の良心に従い、民主党に投票してはいけない。
何故ならば、「人間」であるからだ。。