


photo+text from top © Bob, Marina and Dima Black
母国・ロシア
「ここにあるものはすべて再現である。ここにあるものはすべて戻っていくものである。故郷とは戻っていく場所である。どれほど離れているかなど重要ではなかった」
―― ジョン・バージャー(John Berger)著 And Our faces, My Heart, Brief as Photos
「わたしは異国の地にいる寄留者(ゲール)だった」
――出エジプト記
人間は人間を創り出すものを創造し、それを故郷と名づけた。
世界は人類が誕生する前から存在していたが、人間こそ世界の建造者である。私たち人間は、周囲の環境から巣に持ち込まれた小枝や羽から成るタペストリーを縫い合わせている。美しい羽を持つカワセミが、汚れたものやくだらないもの、あるいは光(ひかり)と縁(ゆかり)で縫い上げられているのに似て。私たちはその口ばしに世界のすべてをしまい込み、土地と時間を越えて持ち運ぶ。どこかに留まり、口ばしにしまい込まれた世界の一切合切がロームの殻へと形を変え始めるその日まで。この殻がみんなの隠れ家となる。小さな鉤、節くれだった枝、記憶、経験、日々のできごと、現実離れしたそうしたもののすべてが、故郷とよばれる世界を形づくる粘土の中で撹拌(かくはん)され、咀嚼(そしゃく)された。漂積物や沈殿物が増えるにつれ、観察者の集団は群れをなし、私たちがそうするより前に、後々までしっかり残るほどくっきりと「誰か」に関する輪郭と足場を固めた。ぼんやりと過ぎゆく時間を行き来するうちなんとなく建具が集まり、土素材でできた装飾品のタペストリーは日々身に纏(まと)うフロックとなる。人々はこの衣服のことを村とよんだり、市や国とよんだり、故郷とよんだり、あるいは芝土(土壌)と呼んだりする。そこからアイデンティティや順応性や不満が生まれてくると思われている。けれど、まだまだある。私たちは発明家だ。周りをよくよく見回してごらん。
私たちめいめいを覚醒させる、この仕事は一体どんなものだろう? 「同一視すること」と「理解すること」、私たちはどちらについて表現したり話したりしてきたのだろう? 「ふ~む」という低いうなりが身体から聞こえる。私たちが場所と呼び、すでに知っているとものとして思い浮かべているもの、これは一体何だろう? それは手品や人間の魔力の仕業ではないのか? 私たちはどうやって自身の在り処の意味を理解し始めるのだろう? 地球の軸傾斜と引力のはざまで、私たちはどうやって見つけるのだろう? 故郷、つぎはぎだらけの時間、そして地上に私たち自身を位置づけるたどたどしい営みの見本を。この腐敗した世界にあって、私たちはどうやってポケット1つ分の小さな安全と穏やかさを手にいれたらいいのだろう? それさえあればたとえ苔むし失われても、人はその場所からやって来てその場所へと戻ってゆく。「同一視すること」と「理解すること」。どちらが何であるのかを、一体どうやって知るようになるのだろうか。
ロシアというもの
この家族を抱え、定義し、特徴づけているのはロシアである。マリーナ・ブラックはモスクワで生まれ、大人になってモスクワを離れるまでそこに暮らしていた。ディマ・ブラックもモスクワで生まれ、4歳で母とともに西に向かうまでそこに暮らしていた。ボブ・ブラックはロシアを夢見て、ロシア人作家や詩人の本を読み漁りながら成長し、のちに彼の人生にマリーナとディマが加わった。彼らはそれぞれにロシアに戻り、家族の元を訪れ、話を聞き、時の波間をゆったりと歩き、写真を撮り、記憶を呼び起こし、故郷のもつれを解く。みなそれぞれに彼らのアイデンティティとロシアへの強い想い、独自の風習を理解しようとした。答えを出すために写真を使うこともしばしばあった。父、別荘、キノコの群生というそれぞれの写真は、思い出と賞賛、彼らそれぞれに抱いているけれど、まだ完全には理解していないロシア人としてのアイデンティティに対する愛と賞賛を表すシンプルな報告である。
共同体の記憶や想像力によって定義されたアイデンティティ、古くより大地に刻まれ書物から作り出されたアイデンティティを手に入れることに何の意味があるのか。多くの亡命者を出した場所に故郷を見出すことに何の意味があるのか。それは誰かのイマジネーションでしかないのではないだろうか。記憶と土地とが交錯するところ、過去から後代へ続く物語と過去に終わった物語が交錯するところのやり取りでないとすれば、どのようにアイデンティティを思い起こさせるのか。祈りを捧げる者のつつましい問いかけ、穏やかに紡がれた言葉、光と影を行き交う音なきリフト。人はそうした中にこそアイデンティティを見出す。そして次の世代に伝えていく。
3枚の写真が表すのは1つの故郷。彼らのロシア。
English original text:
HOMELAND: Russia
"Everything here is re-enactment, everything here is return. Home is the return to where distance did not yet count." --John Berger, And Our faces, My Heart, Brief as Photos
“I have been a stranger in a strange land.” –Book of Exodus
We create that which invents us and name it home.
And though the world rises before us, we are its constructor. We stitch together from a tapestry of twig and feather the nest from our surroundings, kingfishers tucking at the muck and stain, the light and ligature, tucking the world into our beaks and carrying it over land and time until we've perched and begun to shape it into a loamy hull. This hull our refuge. And all the small crooks and knuckled branches, the memories and experiences, the quotidian and the quixotic churned and chewed into the clay that will shape the world we call home. Along with the detritus and deposits, an accumulated crew of observations gathered and held before us until it remains fast, the outline and scaffolding of "you." The joinery a loom of trickled time shuttled back and fourth into an assembled shape, the finery a tapestry of earthy materials become a frock that we wear the days of our lives. We call this garment a village, city, nation, home, the turf from which we believe an understanding can emerge, our identity, our malleable, squeaky self. But we are more. We are inventors. Look around. Look around.
What then is this task, the task that we have each set for ourselves in our waking, that which has been described and spoken of as "identifying" and as "seeing"? The hum inside the organ of our being. And what is this thing called place and what is that which we imagine as knowing? Is it not a conjuring, an awakening to the alchemy of our own creation? How is it that we begin to make sense of our whereabouts, how to carve out a home, a patch of time and swatch of hobbled earth into which we can locate ourselves: between the pitch and pull of the earth? And how does one begin to carve, from the ripened world, a small pocket of safety and calm that defines the place from which you have come and into which you return when left mossy and shorn? How does one begin to know of which and of what they are.
So this: Russia.
Russia has and continues to define and mark this family. Marina Black was born and raised in Moscow and left when an adult. Dima Black was born and lived in Moscow until he was four and left westward with his mother. Bob Black grew up dreaming of Russia, reading Russian novelists and poets and later joined his life with Marina and Dima. Each of them return to Russia, to visit family and listen, to walk and to wade time, to snap pictures and to recall, to work through the memory and web of home. Each has tried to understand their identity and their longing for Russia and their own particular way, often trying to work this out through photographs. Each of their pictures, a father, a dacha, a group of mushrooms, are simple statements of both memory and admiration, a love and admiration for that which they still do not fully understand, this Russian identity that each of them carries.
What does it mean to carve out an identity, to carve out an identify both defined by a collective memory and imagination, one written long-over land and chiseled out of books; what does it mean to carve out an home from that most fugitive of places: one's imagination. How does one conjure an identity if not through the negotiation of memory and its intersection of land, the junction between past-down stories and past-over stories; how does one carve out an identity if not in the quite questioning of prayer, the quiet shaping of words, the silent building of light and lift and shadow. Past-passed down.
Three photographs, one home.Their Russia.
写真家プロフィール:
ボブ・ブラック(Bob Black)
カリフォルニア州・サンディエゴに生まれる。アメリカ、台湾、ヨーロッパを転々とした後、現在は妻子と共にトロントで生活している。彼はCBC Literary Award for Poetry(CBC文学賞・詩部門/ファイナリスト選出)、Visual Culture Foundation Award(視覚文化財団賞)などの受賞歴のある作家兼写真家である。2008年にはDavid Alan Harvey/Magnum Foundation Emerging Photographer Grant Award(デビット・アラン・ハービー創設の第1回マグナム財団新人写真家賞)のファイナリストに選出された。また、彼の家庭で行われているBlokusチャンピオンシップでは3年連続(妻と息子に次ぐ)銅メダルを獲得している。書籍や写真集はこれまでにカナダ、アメリカ、ヨーロッパ、香港で出版されている。また写真展はカナダ、アメリカ、ヨーロッパ、アジア、オーストラリアで開催された。現在、彼は処女作の本と彼の希望を最終的に1冊の写真集にまとめようとしている。
彼は芸術家のマリーナ・ブラックと結婚し、ディマという一人息子に恵まれる。彼は写真についてこのように書いている。
――アコーディオンがはためく内側で撮影する。それが私の撮影方法だ。私は目にかごの目隠しをして、辺りを通り過ぎるもの、私を通過するもの私の内部にあるもの、肉体的なもの、刹那に失われた呼吸さえも捉えようとする。真実は写真の中ではなく、我々生命が思うこと・考えることの射程に委ねられている。我々は衰退する。拡大する。種をまく。腹が減る。盲目である。他に何ができるというのだ。我々は抵抗しない。
部屋に光が目覚める、
小さな痛みが走る―
子どもの歯が、
落ちている。
彼はBurn創刊号への寄稿依頼を受けたこと光栄に思っている。そして、いつの日かBlack Family Blokusトーナメントで金メダルを獲得したいと思っている。
マリーナ・ブラック(Marina Black)
受賞歴のある、現在活躍中のビジュアルアーティスト兼写真家。またアーチェリー選手、映画ファンという一面ももつ。ロシアのモスクワに生まれ、国立ロシア人文大学でロシア史を学ぶ。カナダに移住後、絵画や写真などの一連した作品を制作するようになった。彼女の写真作品は、歴史や神話、アイデンティティなどに関連した写真や絵画を映画の物語に組み合わせたものである。作品はカナダの国内外で展示されている。現在、トロントにあるXEXE galleryの代表を務めている。
ディマ・ブラック(Dima Black)
モスクワに生まれ、その後、さまざまな大陸の内陸地や水辺の街を転々とする。現在はトロント在住だが、彼にはロシア、フロリダ、ノースカロライナ、フィラデルフィア、と故郷同然の場所がたくさんある。家族がいればもうそこは彼にとっての故郷となるのだ。両親はともに写真家であるが、彼はあまり真面目に写真を撮らないと決めている。それよりむしろスノーボードをしたり、友達と出歩いたりすることを好んでいる。また、映画が好きで、両親と映画について討論することを楽しんでいる。母方の祖父とチェスをすること、父方の祖父とNASCAR(全米自動車レース協会)について話し合うことも大好きである。2人の祖母にはどんな話でもする。特におかしな話をして祖母たちを笑わせることが彼の楽しみでもある。父親と同じようにこうした経歴紹介の類は嫌いだ。これまでにトロントで写真展を開催したことがある。彼は子どもの頃、キノコの写真を撮るのが好きだったけれども、今ではキノコが好きではない。
彼の写真は、ある夏、ロシアにある伯父と伯母の別荘で伯父といとこと採集したキノコを撮影したものである。彼は父にフラッシュの使い方について手ほどきできるほどの腕前をもっている。
翻訳:井澤佳枝 校正:阿部真紀 英文編集:Amber Maitland
Translation: Yoshie Izawa, Japanese text edit: Maki, Abe English text proof and edit: Amber Maitland