さいたまゲームサークル

埼玉県(東部)でアナログゲームの定例会、同人誌を作成しているサークルです(´・ω・`)

Archive for 10 月, 2011

お試し記事「再評価されるべきイタリア、そしてイタリア軍の悲劇」

Posted by saitamagame

SLGamer vol.4のお試し記事として公開します。
本誌はこちらになります。

再評価されるべきイタリア、そしてイタリア軍の悲劇(DSSSM(松浦豊))

■動画で見るイタリア軍の謎

北アフリカ戦のウォーゲームをプレイしていると、イタリア軍の弱さに泣ける事が多々あります。戦闘力が低い(戦闘力0って駒とか!)、移動力が低い(これは砂漠では超致命的……)、おまけにイタリア軍が戦闘に投入できなくなる様なルールが存在したりとか、果ては驚愕のイタリア軍「パスタ」ルール(おい)ってのがあったりとか……。
ちょうど『Axis Powers ヘタリア』が流行り始めた頃に、私自身もそこらへんの「ウォーゲームの中のイタリア軍の扱い」や「なぜイタリア軍は弱かったのか?」が気になって色々調べ、試行錯誤しながら動画を5、6本作ってニコニコ動画とYouTubeに投稿してみました。以下のものです。

ボードウォーゲームで見るヘタリア
ボードウォーゲームで見る強いイタリア軍
ボードウォーゲームで見るイタリア軍大敗走 前編/中編
なぜイタリア軍は弱かったのか? 前編/後編

(他にネット上では、どなたかがまとめられた「イタリア軍はなぜ弱いのか?」というウェブページもあって参考になります)
幸いにしていくらかご好評をいただいて、私自身もイタリア軍の弱さの謎がある程度分かった気になっていた……のですが、その後も5、6冊イタリア文化やムッソリーニ関連の本を読んでみると「うおお、そうなのか……!」とさらなる発見がありました。
今回はそこらへんの事を書いてみようと思います。

■人生は何のためにあるのか?
北アフリカに船でやってきたドイツ軍が上陸作業する時の様子を見てイタリア軍兵士達は驚いたというのですが、何に驚いたのかというと「うわっ、ドイツ兵のやつら……真面目に船からの積み降ろし作業をやってるぞ!」……って、いや、そんなの当たり前じゃん!!(^_^;)
と、日本人の私は思ったのですが、こういうことはドイツ人や日本人にとっては「当たり前」であっても、イタリア人(あるいは他の多くの社会の人々)にとっては「当たり前」ではない、というか考えられない様な常識外の行動らしいのです。ドイツ人は真面目でルールに従う事に定評があります。一方日本人は勤勉で集団で事を行うのが得意な国民性でしょう。これは近代産業化には有利な特質であり、実際、ドイツと日本は大国グループの最後尾にも入らないところから始めて、1870年頃から1990年頃にかけて途中で戦争によって壊滅的な打撃を被りつつも、堂々の世界3位と2位の経済大国となりました(イタリアは7位あたり)。それは規格品生産に対する取り組みの勤勉さによるところが大だったでしょう。
ところがイタリア人の感覚では、「規格品を作る?生産性?勤勉さ?…それってそんなに大事なこと???人間にはもっと大事にすべきことがあるんじゃないの?」という事になります。日本では過労死がひところから問題となり、現在もまた違った意味での過重な労働実態などが広範に存在していますが、イタリア人は仕事よりも自分自身と家族や友人達との快活な、そして親愛なコミュニケーションにあふれる生活を大事にし、またイタリア社会ではそれが当たり前だと考えられ、そのための環境整備も広範におこなわれているという点で日本人から見れば「目から鱗」的な社会だとも言えます。
近代産業化に取り込まれすぎると、人間は機械としての意味しか持たなくなってしまう。規格品を作る為に規格品的な人間を学校で作って、人間を交換可能な部品の様にして働かせる様な社会に、そんなに価値があるのだろうか? と。イタリア社会は近代の産業化社会に対し、その様なアンチテーゼを持った社会とも言えるでしょう。「近代社会の行き詰まり」という事も言われる昨今においては、むしろイタリア的な考え方こそに脚光が当てられるべきなのかもしれません。
それに、「イタリア人は働かない」と言われたりするのですが、彼らは与えられた無機質な仕事に熱心になれないだけで、個人の創造性が活かせる仕事には大きな喜びを見いだし、その様な仕事には猛烈に打ち込みます。ですからイタリアには巨大でシステマティックな大企業というのは少なく、個人の裁量が活かしやすい小さい企業や工房が無数にあります。「イタリア兵は11人以上いると弱くなる」というジョークがあり、それを信じられない事だと日本人は笑うのですが、彼らはそもそも大人数が同じような行動を取るべきだとされるようなシステムに向いていないのです(逆に日本人は個人の判断力や能力は非常に弱く、集団だと非常に強くなる感じ)。そして戦争というのはまさに、国家が数十万人規模で人間を規格的に集団で戦わせるシステムだったわけです。そのようなものにイタリア人が力を発揮できなかったのは、ある意味当然だったのでしょう。
また、イタリア人は近くに住む家族や友人達だけでなく、遠いところに住む親族や知り合いのネットワークを非常に大事にし、その間での助け合いに日常的に奔走し、時には「命をかける」ほどの事もしばしばです(これは政府が信用できないからでもあるのですが……マフィアのファミリーなどもこの延長上にあります)。『Axis Powers ヘタリア』では、殺されそうになったイタリア人がよく使う命乞いとして例えばアメリカ兵に対して「僕、ニューヨークに親戚がいるんだ」などというのがあることがネタにされており、「親戚がいるから何だという話」とコメントされています。日本人にとってもこういうセリフは「だから何なんだ」としか感じられないわけですが、イタリア人にとってはこれは重みのある言葉だと感じられるからこそ、実際に使われていたのでしょう(一方日本社会は「現在所属している狭い範囲の人間関係」が極度に重視される社会で、非常に仲の良かった人も遠方に行ってしまうと関係が疎遠になる傾向が強い社会なのです)。

■貧乏国イタリア!
 一方、時代的な制約について考えてみれば、これまた笑い話ではない状況が浮かび上がってきます。20世紀前半のイタリアは本当に貧しく、飢えから逃れるために祖国を捨てて移民となる人達が後を絶ちませんでした(それは年間数十万人にも達したそうです)。そのためイタリアの植民地主義は「貧乏国植民主義」と呼ばれ、イタリア国民をなんとか食べさせるために必要に迫られて採られたものでした(この辺りの事情は当時の日本も同じです)。
 この様な時代の中で、国家全体の強さを強力なリーダーシップと暴力的行為によって成し遂げようとする「ファシズム」がこのイタリアから誕生し、その統領としてムッソリーニはアルバニアやエチオピアの征服に(なんとか)成功します。貧しいイタリア国民はこれに大喝采を送りました。
 ですが、予想に反してエチオピア侵略に対してイギリスなどが経済制裁を実行してきたため、イタリアはこれに対抗するためにドイツと結ぶ他に選択肢がなくなってしまいます。ところが同盟国となったドイツのヒトラーが着手した第二次世界大戦はムッソリーニにとってもイタリアにとっても(あるいはまた全世界の人々にとっても)予想外のものでした。そしてまた、イタリア軍の実情について軍上層部はムッソリーニに耳障りの良い報告をずっとしてきており、いよいよドイツの側に立って戦わねばならないという時になって、しぶしぶながら軍上層部が報告してきたイタリア軍の内実はムッソリーニを絶望の底に陥れました。
 実際上、それまでの戦争や経済制裁によって軍も経済も弱体化してしまっていたイタリアには戦争できる実力などこれっぽっちもなかったのですが、「いつでも戦争ができる用意と覚悟がある!」という事を振りかざしてきたファシズム的言説の手前、ムッソリーニには実際上退く選択肢はなかったのです。


イタリアM6/40戦車
当時のイタリアの戦車は軽戦車が中心でした。この戦車で中戦車を保有する英連邦軍とまともに戦闘をすることは難しく、明らかな準備不足でした。しかし、イタリアは戦争の道へと突き進みます。


 雄弁さで政権をとり、はったりで国家運営をして成功してきたムッソリーニは、今度もうまくいくという風に思い込もうとしました。ムッソリーニは次々とイタリア軍に攻勢を命じます。フランスへ、エジプトへ、ギリシアへ(ギリシアは親独の中立国でしたが、イタリアがずっと以前から征服を狙っていた土地だったのです)、そしてドイツ軍のソ連侵攻に付き合う形でロシアの地へ。ところがイタリア軍は連戦連敗。ムッソリーニは屈辱で胃潰瘍を悪化させ、嘔吐と激痛に苦しみ、牛乳と米しか食べられない様になっていきました。
 しかしもっとひどい目に合わざるを得なかったのは前線のイタリア兵達でした。戦う意味も感じられないままに独ソ戦に参加させられ(これはなんとかして軍事的栄光を得ようというムッソリーニの命令によるもので、イタリアの全閣僚は何とかこれを阻止しようとし、ヒトラーも当初断ろうとしたものを彼は突っぱねたのでした)て戦線を守っていたイタリア軍11万名は、1942年12月に突如としてソ連軍に蹂躙されます。この時一部のイタリア軍部隊は50日間に渡ってソ連軍の猛攻に耐えドイツ軍司令部を驚嘆させましたが、普段から同盟軍(イタリア、ルーマニア、ハンガリーなど)兵士達をバカにしていたドイツ軍兵士達は退却の際にイタリア軍の乗用車や輸送車を取り上げ、乗っていたイタリア軍傷病兵を雪原に放り出して走り去っていったのです。イタリア兵達は破れた靴しか履けるものもなく、凍傷の足を引きずって500kmの道のりを捕虜になることを恐れおののきながら逃げるしかありませんでした。零下30度にも達するブリザードに吹きさらされたイタリア軍兵士達は将校から一兵卒に至るまで、ムッソリーニとドイツ軍に対して抜きがたい憎しみを抱きました。このイタリア兵の生き残り達は、祖国に帰り着いて復讐することだけを生き甲斐として生き延びたのです。

■イタリアの最大の敵はドイツ軍である

 相次ぐイタリア軍の敗報と、帰り着いた兵士達が語る軍の窮状、それに少しずつ悪化する経済状況の中でムッソリーニとその取り巻き達だけが富を肥やしていくのを見ていくうちに、多くのイタリア国民が自分達はムッソリーニとファシズムの美辞麗句に騙されていたのであることに気付き始めました。ムッソリーニがなんとか現状をより良く見せようとしたり、国民への圧力を強化したりするほどに、イタリア国民の反ファシズムの思いは広がり、敵国のロンドン放送を聞く人が増えていきました。1943年にはオリーブ油一びんを買うのに1ヶ月の給料では足りないほどに物価は高騰、全国の工場でストライキが発生し、イタリアの軍需産業を崩壊させかねないほどになりました。反ファシズム運動はイタリア国民全体に広がり、ファシスト幹部さえもがストライキに参加していたのです。
 連合軍がイタリア南部へ上陸を始めると、多くのイタリア軍部隊は戦闘前に武器を捨ててしまっていました。ドイツはこの様な状況の中、以前から企図していたイタリア占領計画の準備を完了。同時に、現実感を失い既に妄想の中に生きていたムッソリーニを巡ってイタリア閣僚の中で陰謀が展開し、ついに1943年7月25日、ムッソリーニは逮捕されます。これを見て翌26日にはドイツ軍がアルプスを越えてイタリアに進駐を始め、8月にはイタリアのほぼ全土を占領下に置きました。イタリアを素早く占領できるのではないかと考えていた連合軍はドイツ軍の抵抗に手こずります。ですが確実に、最も不幸な状態に置かれたのはイタリア国民でした。ファシズムを崩壊させれば平和が来ると思っていたのに、ドイツ軍の占領下で燃料や食料は徴発されてほとんど手に入らなくなり、そして連合軍による爆撃や空襲に耐えねばならなかったのです。
 イタリア軍とイタリア人による、ドイツ軍への抵抗活動が始まりました。今までの様にムッソリーニに命じられてではなく、今度は数多くのイタリア人達が自らの意志で、断固たる戦いを決意したのです。コルシカ島やバルカン半島ではパルチザンと共にイタリア軍兵士達がドイツ軍に抵抗活動を開始し、多くが戦死します。ギリシア領セファロニアではイタリア軍司令官がドイツへの降伏を決定したその晩のうちに将校達が部隊を掌握して兵と共にドイツ軍への抵抗を決意。しかし弾薬がなく、ドイツ軍は450人のイタリア将兵を処刑しました。
 イタリア本土でも、ドイツ軍への抵抗が始まりました。山岳地帯にイタリア軍兵士達がパルチザンとして集結し、イタリア中部では工場や砲台をイタリアの水兵や陸軍、それに労働者達が占拠し、数千のドイツ兵に損害を与えながら数日間持ちこたえました。ローマではイタリア軍のアリエテ師団がドイツ軍と白兵戦を演じます。抵抗運動は激しいものでしたが、強力なドイツ軍に対しては蟷螂の斧にも等しく、ただ勇気ある行動だけが支えとなっていました。例えばあるイタリア軍中尉はドイツ軍への抵抗のための地雷を敷設中にドイツ軍高級将校の一団がやってくるのを目にして、逮捕されるよりも自ら地雷を踏みつけることを選び、ドイツ軍将校団もろとも爆死しました。
 一方で北イタリアではドイツが、救出したムッソリーニを傀儡とする親ドイツファシスト国家であるイタリア社会共和国(RSI)を成立させます。その軍隊の中には、あくまでドイツ側に立って戦う事を続けたイタリア兵士達も多数いました。こうしてイタリアは、「イタリア人同士が血を流し合う」状況の中で、さらに14歳~17歳などの10代の若者や女性達も巻き込んでの戦いを、さらに1年半続けざるを得ませんでした。パルチザンへのドイツ軍の報復は苛烈を極め、村人全員が - つまり赤ん坊も老人も、青年も少女も - 全員銃殺という事がまれではありませんでした。ローマ市では、パルチザンが仕掛けた爆弾でドイツ兵50人が死んだ時、ドイツ軍は報復のためにローマ市民から335人を連行し、時間をかけて一人ずつ射殺していきました。ですが、弾圧を強化すればするほど、パルチザンの反抗が激化するのは当然でした。
 1944年春からの連合軍の新攻勢によってイタリア中部までが解放されていく頃には、パルチザンは成長を遂げ、解放区で自由選挙をおこなうほどになっていました。ちなみにこのイタリア戦役ではアメリカ軍の中の日系二世部隊である第100大隊と第442連隊戦闘団が、米軍内の人種的偏見の中でドイツ軍と戦い、その輝かしい戦功によって高い評価を受けています。イタリアで日系二世部隊がパルチザン達の道案内を受けながらドイツ軍占領下から幾多の街を解放した事は、現地の人々から今なお、感謝され続けているのです。
 こうしてイタリアでは、老若男女が約10万人以上の犠牲者を出しながら自らの戦いを続けました。そして……1945年4月28日、ベルリンがソ連軍の攻撃を受け、北イタリアが連合軍によって解放されんとしている時期に、ムッソリーニはパルチザンに捕まり、処刑されます。その2日後にはヒトラーがベルリンで自殺し、5月9日にドイツは無条件降伏。ヨーロッパにおける戦争は終結しました。
 イタリアは「枢軸陣営に属しながら途中で裏切り、勝者の側についた」と揶揄されることがよくあります。私も「そーなのかー」と思ってました。しかし歴史の本をもっともっとと紐解いてみれば、イタリアが直面した運命の過酷さはドイツや日本以上のものがあり、かつイタリアのみが自分たちのファシズム政権を倒したのであり、またその後も自分達の運命を切り開く為に多くのイタリア人が自ら死地に赴いた……という事が分かってきました。特に戦争後半のパルチザンの戦いには涙を禁じ得ないものがあります。もっと多くの事が知りたいとも思うのですが、日本語で読める資料は乏しく、本当に詳しい事が知りたいならばイタリア語文献に手を出さなければならないのかもしれません……(絶対ムリです!)。
 もっとも、物事には様々な見方があり、上記の様な見方が絶対というわけでもないでしょう。しかしともかくも、この拙稿がいくらかのきっかけとなって、イタリア軍に関して「もっと知りたい」と思われる方が一人か二人でも出てきてくれたら、大変嬉しいと思います。


イタリア社会共和国(RSI)の兵士
イタリアは大戦の途中で連合国に降服しました。
ムッソリーニは拘禁されますがドイツにより救出され、イタリア北部にイタリア社会共和国(RSI)を樹立します。
これによりイタリアは二分され、イタリア人同士が戦うという悲劇が生まれることとなります。

12月のオープン例会情報

Posted by saitamagame



さいたまゲームサークルは、埼玉東部(主に草加・越谷近辺)で非電源系ゲーム(ウォーゲーム・ボードゲーム等)をプレイするために設立された個人主宰のサークルで、草加市を中心とした公共施設でゲームを遊ぶ場を開放しています(会費は会場費用をワリカンに近い形で設定している非営利団体です)。
主にドイツ系ボードゲームやウォーゲーム等プレイしています。
社会的な常識さえお持ちであれば特に規約など設けておりませんので、どなたでも気軽に遊びに来てゲームを楽しんでいただければと思います(´・ω・`)

例会情報
12月24日(土)10:00~20:00 草加市勤労福祉会館 第4会議室

参加費
200円

11月の例会につきましては、主催者の都合のため中止とさせていただきます。

ゲームマーケットと冬コミ(コミックマーケット81)に参加します

Posted by saitamagame

さいたまオフラインは、ゲームマーケットと冬コミにサークル参加することが決まりました。

ゲームマーケット秋の参加は、ブース番号:232(さいたまオフライン)
冬コミの参加は、サークル番号:29日東 F-29a(さいたまオフライン)

今回の頒布予定のものは・・・
(1) SLGamer vol.4 「特集:熱砂の北アフリカ戦線」(新刊)
(2) SLGamer vol.3 「戦国最後の決戦~関ヶ原合戦」(2011年8月発行)
(3) SLGamer vol.2 「Ardennes44' ヒトラー最期の賭け」(2011年6月発行)

 以上の3冊(いずれも付録ゲーム付き)となります。
 いずれも頒布価格は500円です。
 お暇な方は是非ともお立ち寄りください(´・ω・`)

SLGamer vol.4

Posted by saitamagame

2011年秋の新刊になります。
イベントにて500円で頒布予定のほか、12月上旬にi-OGM様及びa-game様で通信販売で取扱い予定です。



特集:「熱砂の北アフリカ戦線」
・「ロンメル・アット・エル・アラメイン」リプレイ
・ヒストリカルノート
・再評価されるべきイタリア、そしてイタリア軍の悲劇(DSSM(松浦豊))
・北アフリカ戦ゲームレビュー

連載・不定期連載記事
・世界のユニット列伝「イギリス軍」
・聯合艦隊ついに勝つ?~ミッドウェイ海戦編~(takoba39714)
・歴史の散歩道「野戦装備からみる戦時経済」(菅原恭一郎)
・アニメの中の戦争「アニメ軍装研究」(北見道和)
・珪石器時代の彼方へ(国産PCウォーゲーム風雲録)(KOSE)
・趣味のゲームデザイン(天津老師)
・ゲーマー的時間管理術(鈴木拓也@札幌)
・誰得!?作戦研究(HA)
・B級ゲーム通信「セーター服をあなたに」(菅原恭一郎)
・歴史を支えた兵器達「三八式歩兵銃」(菅原恭一郎)
・初心者向けゲームレビュー


付録ゲーム「ロンメル・アット・エル・アラメイン」
・マップ

・ユニット


 1942年8月30日に開始されたエジプトにおけるドイツアフリカ軍団とイギリス第8軍の戦い(いわゆる「アラム・ハルファ高地の戦い」)を再現した作戦級ゲームです。
 ドイツ軍の南方旋回による攻勢は、アラム・ハルファ高地を抜けエル・アラメインを守る英軍の包囲が成功するのか?英軍を指揮するモントゴメリーはドイツ軍の攻勢をしのぎ、攻勢を頓挫させることができるのか?

・ゲームデザイン:天津老師
・マップ:B4サイズ1枚
・ユニット規模:1ユニット(大隊~師団)
・ゲーム時間:1時間
・難易度:★★☆☆☆

個人誌「天正遣欧少年使節」-天津老師デザイン

Posted by saitamagame

SLGamerにて付録ゲームをデザインしている天津老師氏の個人誌(付録ゲーム付き)が次のイベントにて頒布となります。
イベントにご参加の方は是非ともスペースにお立ち寄りください(´・ω・`)ノ

10月9日(日)コミックシティ大阪86(インテックス大阪 4号館)スペース カ16b
10月23日(日)コミックシティスパーク6(東京ビッグサイト東1ホール)スペース タ52b


==「天正遣欧少年使節」==
新作ゲーム「なんとなく歴史が学べるボードゲーム・天正遣欧少年使節」付


「知ってるかい?僕らの大航海」(天正遣欧少年使節の足跡)
「人物紹介」(かかわった人々の紹介)
イラスト「年号ごろ暗記」
他、ゲームの解説とコラムを掲載

■付録ゲーム
長崎を出発し、ローマ教皇に謁見し、再び長崎に帰ってくるまでの少年使節の旅再現した双六タイプのボードゲーム。
ただし、誰が最初にゴールするかといったスピード勝負ではありません。
プレイヤーは少年使節の4人のうちの誰かになり、各地で出会うVIPの方から獲得したポイントが多いキャラクターが勝利するというゲームです。キャラクター毎に、信仰値・容姿値・会話値が決まっていて、その値でポイント獲得の成否が決まります。
プレイすれば「なんとなく歴史が学べるボードゲーム」です。

□キャラクターシート


□ユニット

ホットワード さいたま サークル 埼玉県
割引クーポンまとめ情報 - クー割