東海・東南海・南海の三連動地震の想定震源域

12 月 30th, 2011

折しも「三連動地震迫る-東海・東南海・南海」(名古屋大学 地震火山・防災研究センター教授・木股文昭著)を読んでいますが、
今日のテレビニュースでその想定震源域が従来の想定震源域の3倍に達すると見直しが迫られているというものです。

この本の中には、3.11東日本大震災も2日前に大きな地震があったとされ、
いわゆる前震と呼ばれる大地震の前の予兆的な地震は
東北地方太平洋沖地震の震源地の少し沖合で3.9に発生しており、
M7.3でしたが、予測した最大震度は2で、緊急地震速報はなく、津波情報だけが流されたといいます。

つまり、プレート界での破壊の始まりが浅いところから始まり、
更に深層へと向かって東北地方太平洋沖大地震へと繋がったことになります。

同じような現象が、かつての東南海地震などにも盛られるといいますが、
こうした様子を行政は把握していないのではないでしょうか?

前震が比較的軽度の被害であると仮定すれば、
巨大地震を予測した対処も前震を根拠に行えるかもしれません。

今次東北地方太平洋沖地震から2日を要しましたが、
東海・東南海・南海エリアの巨大地震では1日だったという記録もあるようです。

その前提に立てば、
前震段階で警戒すれば、被害も縮小されるようにも思われます。

ところで、
1976年に東京大学の石橋克彦氏(当時助手)の「切迫する東海地震」を契機に
1978年6月には大規模地震対策特別措置法が成立することとなります。

しかし未だに、地震警戒宣言発令とその解除のタイミング、
更にはその影響などを具体に検討した形跡はないようです。

そこに、一体どれほどの予算が費やされているのでしょうか?

世界第二次大戦中の昭和東南海地震と三河地震

11 月 28th, 2011

昭和東南海地震を研究する木村玲欧兵庫県立大学准教授が、
政府関係者から入手した資料に、
太平洋戦争中だった為、被害が大きかったことが公表されず、
隠された地震といわれ続けた昭和東南海地震と三河地震の被害状況を示す記録が
当時の帝国議会秘密会の速記録集にあったといいます。

この際の大地震の国の資料は少なく、地震の歴史的記録を継承することは、
今後の防災や減災に活かすうえで、重要な資料となりそうです。

当時、この地方には軍需産業があり、大きな被害があったことが伺われ、
地元産業の地震対策にも活かす必要があるといわれます。

この昭和東南海地震は、昭和19年(1944)12月7日、三重県沖を震源発生しています。

戦後の研究では、昭和東南海地震は、マグニチュード7.9とされ、
その余震と思われる三河地震は、翌年、昭和20年(1945)1月13日発生しており、
マグニチュード6.8という大きな地震で、いずれも死者や倒壊家屋などは公表されていない。

地域防災士

11 月 20th, 2011

3.11の大震災後、
防災士の資格を取得するなど、
災害時の復旧支援や防災についての専門知識を身につけたいという人が増えているといいます。

特に若い人の意識の高まりを反映するように、
受講者に若い人が増えたことは好ましいと思われます。

問題は、こうした人たちを地域で生かす仕組みがあるかどうか。

「あいち防災リーダー会」によると、
地域によって防災リーダーの人数に開きがあるとか・・・・

同主催による防災リーダー養成講座は、昨年は定員を大きく割り込んだといいますが、
今年は締め切り期日前に新聞に掲載されたこともあるのでしょうのでしょうか、
その直後に定員を満たしたといいます。

現在、愛知県下では、
財政規模の小さいところを中心に三分の一の市町村で
講座を開いておらず、清須市も議会から求められているにもかかわらず、
当局は開校を拒否しているのが実情です。

さらに、せっかく過去に受講しても清須市として生かし切れておらず、
本年になって有志によって清須市防災リーダー会が結成されたといいます。

課題は、各自治会が防災リーダーを送り出すことが肝要で、
単に「防災リーダー養成講座を受講した」というだけでは、
自治会内での活動の場所がないということになりかねません。

実体としても、東海豪雨の直後から愛知県が実施した講座に受講した
清須市内の防災リーダーは、一部に自主的に活動をした人が見受けられたものの、
行政が主体となって、その後活動の場所が与えられることはありませんでした。

今後の積極的な対応を期待したいと思います。

東南海地震についてその3

9 月 21st, 2011

震度計の針が振り切れた観測所もあったようです。
このように、当時の東南海地震は、正しい震度、強度を記録しきれていませんでした。

東南海地震の、震度分布ですが、東海地方より西側は、安政東海地震に類似しています。
ですが、駿河湾周辺、また、甲府盆地あたりですと、安政東海地震の方がもって激震でした。
離れた北海道でも震度1を観測した場所もありました。

震度6は、東海地方の御前崎市、津市で、
震度5は北陸地方の福井市、敦賀市、甲信地方の甲府市、東海地方の浜松市、亀山市、尾鷲市、岐阜市、名古屋市でした。
それに、近畿地方の彦根市、奈良市です。

関東地方でも震度4を観測し、前橋市、秩父市、それから、東京都千代田区、横浜市なども揺れがありました。
北陸地方でも震度4を観測したのは、上越市、富山市、輪島市で、
同じく甲信地方の富士河口湖町、松本市、飯田市、
東海地方の熱海市、高山市、
近畿地方の宮津市、京都市、大阪市、神戸市、和歌山市でした。
四国地方の徳島市、高松市、それから、多度津町、松山市、また、室戸市、高知市でも震度4の揺れがありました。

この地震の影響で東海市の太田川付近では堤が地割れしました。
そして2メートルほど沈下しています。
渥美半島でも0.3メートルから0.4メートルの沈下がありました。
そして、浜松東部では0.2メートルの沈下でした。
反対に、掛川では0.07メートルの隆起、そして、相良港では0.3メートルの隆起でした。
また、御前崎でも0.15メートルの隆起が確認されています。

このように東南海地震では、北西側は沈降し、南東側は隆起したことで安政東海地震と同じようですが、
東南海地震の地殻変動の幅はそれよりも小さかったと記録されています。

東南海地震についてその2

9 月 20th, 2011

一番新しい東南海地震は、1944年(昭和19年)12月7日に午後1時36分から、
紀伊半島東部の熊野灘、三重県尾鷲市沖約 20 km (北緯33度8分、東経136度6分)を中心とする震源で発生しました。
一般に死者・行方不明者数は1223名を数えたといわれ、「昭和東南海地震」「1944年東南海地震」と呼ばれたりします。

1945年前後にかけて4年連続で1000名を超える死者を出した
4大地震(鳥取地震、三河地震、南海地震)の一つで、東南海地震震源域で発生した前回の巨大地震となる
安政東海地震から90年ぶりでの発生でした。

この東南海地震での最大震度は、御前崎、津周辺で震度6の強さ、
この地震で発生した津波は8メートルから10メートルでした。
また、近畿から中部までに渡り、広い範囲で震度5を観測しましたともいわれますが、
実はある観測所では、地震の強さが通常の測定範囲を超えていたという話もあります。

この地震の種類は海溝型地震であり、逆断層型です。
そして、この地震が及ぼした被害ですが、死傷者数、行方不明合わせて1223人でした。

東南海地震についてその1

9 月 15th, 2011

日本は本当に地震が多い国で、あちらこちらで地震が起きていて、
それには周期があるとされているものが多いといわれます。
東南海地震もそのひとつです。

東南海地震は、紀伊半島沖から遠州灘の海域で周期的に発生している海溝型地震を指していて、
毎回マグニチュード8.0前後と言われている巨大地震で、
周期がおよそ100年から150年程度で発生しています。

周期とは、この時期だと確定できないのですから、近い将来、起こりうる地震というしかありませんが、
1944年12月に、紀伊半島南東沖が震源となり発生しました地震が一番新しいものです。
通称は、昭和東南海地震と呼ばれています。

この地震では、被害が遠州灘沿岸から紀伊半島にかけて集中したことで、
これをきっかけに「東南海地震」と呼ばれるようになりました。

今では、過去に発生した、この地域の地震にも、すべて東南海地震と呼ぶようになりました。
東海地震と南海地震では、発生がほぼ同時であっても、時期が近いなど連動するケースもありますが、
震源域異なっていることから、別の地震として仕分けられています。

1944年に発生した東南海地震は、12月7日の13時35分に発生しました。
このときの震央は熊野灘沖で、震源の深さはおよそ40キロメートル、規模はML7.9という大きさでした。

下呂の断層で地震確率増加か?

9 月 10th, 2011

9/9、政府の地震調査委員会は、岐阜県下呂市を走る萩原断層(長さ17キロ)が、
東日本大震災の影響で「地震発生確率が高くなった可能性がある」と発表したといいます。

ここは日本で第1級の活断層帯である阿寺断層帯の延長約70㎞下呂市萩原町山之口から、
南東に向って、中津川市加子母、付知町、坂下町を経て同市馬籠宿付近に至る全長約70㎞にも及ぶ。

その「阿寺断層帯」は、国内でも第一級の活断層と言われていて、萩原断層も含まれています。
北部には萩原断層、南部には下呂断層、小和知断層、阿寺断層など複数の断層からなっています。

「阿寺」とは、岐阜県に隣接する長野県大桑村の阿寺渓谷上流部にある、
阿寺山(1558m)付近一帯を阿寺山地と呼ぶことに由来しています。

ちなみに、阿寺山地は標高1500m~1900mの山々が続く山並みで、
小秀山、白草山などが連なっていて、その北部には
清須市の人にも馴染み深い御岳信仰でも馴染み深い御嶽山があります。

萩原断層は、平均活動間隔は1800~2500年といわれ、
前回の活動から既に3000~3400年経過しているといいます。

ただし、阿寺断層帯南部は1586年の天正地震で活動していて、
その周期からはすぐに地震発生にはならないとの見方もあるようです。

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9 月 4th, 2011

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